「本気?」 「・・・・今更そんなこと聞かないでくれます?」 中肉中背のトーンで、その人はゆったりと、だけれど厳しい顔で言った。 ぼくは良く馴染んだ制服を脱いだばかりで、その人は少しぼくから目線を外していた。 「別に・・・・それでどうしようって訳でも」 意地が悪いなぁ、と、ぼくは心の中だけで喋った。 曖昧な笑みで『そうですか』と相槌を打ち、 あまり白くはない肌を白いタオルで拭いていく。 錆びたロッカーに背を預けて、その人は目で空間をまさぐる。 唯一知り合いめいたぼくらの関係は、多分ここで崩れるんだろう。 ぼくは裸足の爪先に視線を這わせながら、無機質に最終作業を整えていく。 「靴、貸してください」 穴の空きそうなスニーカーの催促。 或いは単純な別れの挨拶だろうか? その人は少しだけ眉を寄せて、ロッカーに向き合ってぼくの靴を出す。 ギィギィバタンと扉が歌う。 「どうぞ」 人差し指と中指で引っ掛けて、その人はぼろ革同然の靴を目の前に持ってくる。 皮肉っぽい顔。しかめた顔。喜と楽のない顔。 端だけでそれを留めて、ぼくは疎かなほど遅い手つきでそれを受け取る。 「・・・ありがとうございます」 ありふれた感謝は、きっとその人の体からすぐに零れ落ちるはずだ。 証拠に、靴の離れた手はすぐにまた胸元に戻った。 腕組みの、この近寄りがたい空気の纏い方の上手さを、ぼくは何度焦がれたか知れない。 「一時だ」 ぼくは地面に置いて置いた靴をゆっくりと履く。 片脚立ってふら付いて、ひやりとした温度を土踏まずだけに残す。 その人は濃いシチューをぼたりと零すように呟いて、 左腕の時計ばかりを見つめる為に俯きもする。 「ああ、本当ですね」 同じように、ぼくにも嵌め込まれた時計を見て、確かに一時だ、と納得した。 これまで得た以上の物を、これからもう望むことはない。 今、その人に見るものもない。 ドアまで数十センチの距離で、求めるものなんてない。 残すものは楔より軽い感傷だけだ。 「じゃあ、僕は行きます」 ザリザリとスニーカーの底と地面とでハーモニーする。 誤魔化しの効くやり方で、どこともなく速いテンポで、本当に最後らしい別れを組み立てる。 「・・・・」 半歩だけ顔を持ち上げて、その人はぼくを見る。 真一文字に唇を結んで、きつく背中を赤錆に押し付けたままで。 嘯いた態度を結局貫こうとするぼくを最後まで非難するような格好をその人も貫く。 無風だ。限りない。 「さよなら」 そしてぼくもその人を見た。 泣くかな、なんてつまらない事を一瞬だけ思った。 絶対に開かれることはないその人の口から、もしかしたら発せられるかと一瞬だけ思った。 ぼくは愚かだ。 この場には塵も残さないつもりでいたのに、最後の最後で転んだ。 その人はその人以外に成り得はしないのに。そんなもの、初めから承知していたのに。 右に回す、やはり錆びたノブ。 それを支えるぼくの手は、小刻みに震えている。 別れには、いつでも引き止める「それ」がついていて欲しいと願っています BACK |