Rebirth







「・・・・死んでおられる」
その声は実に人工的だった。
晴天の下、一本の木の丘に白いからくりが存在していた。
その姿は和をうまく模した姿で、しかし奇怪で、生臭い雰囲気を漂わせていた。
「・・・・」
四肢がうまく動かない。
ゆらりと揺れて、からくりは確かな自我を抱えてそう思った。
何年、手入れもされていない状態でここへ来たからだろう。
腕も足も軋んで満足に間接も曲がらなかったのだ。
幾年放置されたかも覚えていない記憶だ。
おそろしく遅い速度で這いずるように丘を登る姿はじつに滑稽だったろうと、そのからくり・・・壱ノ妙は自嘲する。
黒く短い毛髪をふり乱したままの赤い目は焦点もない。
愛されるために造られたからくりではない女。
完全な人型の、このからくりが主に捨てられたのは世が平和になったからだ。
「わたくしめと同じでございますねぇ」
完璧な機械のフォルムには似合わない、しとやかで物憂げな声。
壱ノ妙の目の前にはひどい格好で身体を投げ出している人形がいる。
これに会うために、壱ノ妙は屈折と丘を登ってきたのだ。
人形の砂と泥にまみれた木と金属の肉片はただ汚れているだけで、
だらりと力のない風体から、意識もないことが見受けられる。
全体に暗い色をまとわせながら、死を匂わせる人形。
ただひとつ、胴体に沈む青く澄んだ液体と装飾のみが水泡をあげてコポコポと唸った。
空も青く、澄みきっていた。
「わたくし達はいつも人間に創造だけされて死ぬんですのねぇ」
壱ノ妙は灰色のはかまを真白い指と甲で払う。
髪の毛を撫でつけて、左腕の袖を整える。
人間の唇からはほど遠い、実用を優先させた口は規則的に動いていた。
袖の桜の赤、帯の赤、鼻緒の赤、眼の赤。
このからくりに一番似合うその色は、あざやかなどす黒さのまま、その胸の奥に落ちている。
「あなた様のように・・・」
そっと座り、壱の妙は人形の無骨な頭部をゆっくりと撫でた。
電球にも似たシルエットは冷たく、無機質な匂いを香らせていた。
しかし、確かにこの人形は生きていたのだ。
人形に触れ、そこに残留する思いをつみとりながら女は深く実感する。
壱ノ妙自身が持ち得なかった暖かさや包容さをこの人形は抱きながら、
穏やかな思いで今も何かを待ちつづけながら、人と交わらない軌跡をひとり、歩いていたのだ。
「・・・・・お優しい方」
あからさまな表情のないつるりとした顔立ちは、人形を嘲笑しているようにも慈しんでいるようにも見える。
何度も何度も頭部を撫でることを女は続けながら、ただ静かに人形を眺める。
余計な感情を排除すると過去ばかりが蘇ってくるものだと、
ゆるやかな仕草の中、壱ノ妙は思った。
血のみで描かれた絵画のような過去。
それを想い返そうとすでに何も沸いてこない、人の手で模された胸や感情や脳。
痛めつけて、苦しもうという心を壱ノ妙は何度願ったか知れない。
「人は呆気なく死ぬんですのよ?わたくしめのこんなちっぽけな体で」
まぶたのない目から透けるように、凄惨さが脳裏に浮かぶ。
ばらばらに欠けた何かが上から落ちてくる光景。
焦げた何かがどさりと崩れる光景。
ひたすら、絹を裂くような音の雨。
壱ノ妙が腕をひとつ持ち上げただけで行えたいろいろな行為の真意を女自身が気付いたのは、
主からぼろ屑同然に捨てられ何年も経った後で、それを死と呼ぶのだと知ったのは更にそれから数年過ぎたあとだった。
「わたくしを作ったも人です、わたくしが危めたも人です・・・人などわたくしには分かりませぬ」
女は、それから死というものに囚われた。
自ら囚われようと進んだのかもしれない。
己が下したのかも既にあやふやな記憶の中、それでもこの女が自身の力で強く刻みこむ罪は消えない。
生みだした主への怒りが消えても、危めた者へ祈る鎮魂さえ消えても、
女は自身が成した血みどろに今も漬かったままなのだ。
「・・・?」
ふと、かすかに壱ノ妙は首をもたげた。
人形の頭部が一瞬、パチリと光を得たように感じたからだ。
「・・・死んで、おられないのですか?」
球体になぞる手を止めて、真赤の記憶をふさいで、囁くように言葉をかける。
春の心地よい風に、巨木の緑の葉が騒ぐ。
しかし、人形はそれきり動くそぶりを見せない。
壱ノ妙は人形の顔を覗き込み、やはり死んでいるのだと、ため息をつくように安堵した。
また、その頭部を舐めるように撫ではじめる。
・・・・。
・・・?
「!?」
女の動きが止まった。
その頭から今吐いた科白、滞ることなく浮かんだ言葉。
気づいたように、壱ノ妙は口を手で抑えた。
安堵?

『安堵と、わたくしは思うたのか?』

黒い布へ美しく染めた白が確実に抜け落ちるように、
壱ノ妙は自身に落ちた言葉にうろたえ、怯えるように首を振った。
体はカタカタと小刻みに震えていた。
「・・・・違います」
発作に近い否定。
一瞬だけ、恐ろしく浅ましく、過去の所業を何もいとわなかった目が混同する。
破壊のみを欲望とする理性のない己がよぎる。
「違うと、仰って下さいませ」
黒髪が揺れる。
震えは酷くなる。
自我と関係なしに揺れる体をなだめるように壱ノ妙は肩を両手できつく掴んだ。
女がそう望んだことに飽くまで従うように、ぴくりとも人形は動かなかった。
「嘘だと・・・・・」
優しさは、それだけで無条件に愛しいものだと壱の妙は信じていた。
死に善がりながらも実直に信じていた優しさ。
しかし、今それを手渡された胸の中は汚れた想いで満ちている。
時が過ぎ、己は終にそうなれたと信じていたのに、出てきたものといえば未だに他へ死を願う鈍重な被虐だ。
いや、優しさが罪なのではない。
この人形は純粋な感情で女へ願うものを与えた。
なんと情けなく、虚しいのだろうと壱の妙は思った。
自分どころか、あまつこの人形が死んでいればいいと思ったのだ。
ただ己の代わりに死んでいればいいと。
ただ、己が得たい赦しのために、黙っていればいいと。
「・・・・いえ」
目の前にはこのような姿になってもただ想いへ忠実に従おうとする命がある。
そうなるように造った者が確かに居たのだ。
その事実や現実を不確かにも刻み、すべてを女は悲しく思う。
「・・・あなた様はお優しい方です。こんなわたくしの願いでさえ受け入れるのですからねぇ」
壱ノ妙は声を荒げることもなく、ただ哀しさだけをあらわにした。
そして、同時に人形の体をゆるやかに引き寄せた。
強く人形の体を抱え込み、女は名前も知らない人形の肩を覆う。
女の体と、人形の体とが触れ合う。
鉄と、木材と、銅と、銀が混ざりあってひとつになる。
「わたくしを阿呆と思いましたでしょう。わたくしを未だ変わらない人殺しだと思いましたでしょう。
 ・・・・わたくしを、かりそめの優しさだけで生きる抜け殻だと思いましたでしょう?」
独白じみた、ただ漏れる言葉をひとつひとつ確かめるように女は呟く。
間接がこれ以上は回らないと知りながら、まだ深く人形を包もうと腕をやる。
ギチギチと少しの間間接は粘ったが、錆びのせいか、ある一定の角度を超えると腕はバキリと呆気なく折れた。
「そう思われても仕方ないのです。わたくしは、それ程の事をしたのですから」
がくん、と折れた腕ぶんの人形の重みが、壱ノ妙の胸に被さる。
それを上手く片手で支えながら、壱の妙は「綺麗に」と形容するほど単純な折れ方をした己の右腕を、
半ばそこに落ちているのが当然のように眺めていた。
罪。労わり。慈しみ。血。あがない。乞い。後悔。欲。優しさ。
その腕が培ったすべて。
「あなた様は、ほんとうに、ほんとうにお優しい方です」
涙が出れば、どんなに救われた気持ちになるだろうかと壱の妙は思った。
しかし、それは叶わない。
女は一生からくりとして生き、死ぬのではなく壊れてその命を終えるのだ。
腕から巨木へ目線を写し、呆けるようにその木の色や線や形をなぞる。
「わたくしは・・・わたくしを失うべきを今望んでおります」
うつろう赤い目で、壱ノ妙が捉えているのは巨木のみだった。
人形も、限りなく澄んだ空も視界にはなく、女はそのまま硬直したように動かない。
ただ女の中にあったのは胸に圧される人形の重さと、己へ刃を向けるべき覚悟だけだった。
「わたくしは・・・わたくしを・・・」
想いで押し潰され、今にも自らを絶ちそうな女は気付かなかったのだろう。
女の腕に包まれ、胎児のように項垂れた人形の変化を。
頭部をぱちりと一瞬ショートさせ、ギギ、と指先を動かしたその姿を。
「・・・わたくしは充分過ぎるほど生きました。もう、決心はつきました」
女は、それを証明するかのように左手で器用に人形を支え直し、
人形に付いていた埃や汚れを丁寧に拭った。
そして思った。
これ以上、自分が生を望むより強く他へ死を望まぬよう、ここで己を終わらせてしまおうと。
そうすれば、己はようやく救われるのだと。
壱ノ妙は粗方綺麗になった人形をゆっくりと木にもたれ掛けさせ、
初めに女と人形とが出会った時とまったく同じ格好にさせた。
風が吹く。木が騒ぎ、草が震える。
人形の胴体の液体が、大きな音を立てて水泡を上げた。
「わたくしは、幸福です。あなた様に出会えたのですからねぇ」
それを見た壱ノ妙は顔のない顔で確かにほほえみ、
もう一度だけ人形を抱きしめ、頭部を二回、ぽんぽん、と叩く。
そして根元から折れた白い右手をまさぐり取り、人形の胸に置いた。
これが、女自身の生きたただ一つの証、墓標になるのだ。
「然様なら。わたくしを導いてくれたひと」
すくりと立ち上がり、からくりは毅然と180度回り返る。
青い空。白い雲。赤の女。
髪の毛を撫で付け、はかまを払う。
ぴっ、と規律した格好のまま、壱ノ妙は丘を下り始めた。
諤々と揺れる足。
自ら望まずとも、体はかなり脆い所まで来ているのか。
女は自身が朽ちる場所を思った。
どぶの中。藪の中。寂れた中。・・・いや、女はもうどこでも良かった。
ただ、人形が、『彼』が、平穏な思いを携えていてくれさえすれば、どこでも良かったのだ。
「おーい、そこの姉さん」
何度か足がもつれて転びそうになりながら、背中に人形を感じて壱の妙は下る。
人形がこちらを呼んでいる錯覚さえ憶えながら、足を進める。
「おーい、姉さん、姉さーん」
錆び付いた四肢はやはり重い。片腕しかない所為で安定も悪いようだった。
膝ほどまでの草も前進の邪魔をする。
こちらを呼ぶ、背の声さえ大きく聞こえる。
「ったく、何百年生きていい加減壊れちまったのか!あんただ、あんた!壱ノ妙!!」
痺れを切らしたような、張った声が丘へ大きく響いた。
からくりは名前を呼ばれ、そこで、初めて声の主が実際存在し、自分を呼んでいたのだと気づいた。
ぐらりと倒れるように降り返る。
そこには10代とも20代とも30代ともつかない容姿をした男がいた。
振り返った壱ノ妙を見ると、にかりと笑って近づいてくる。
「ようやく気付いたか!このっ、本当に壊れたのかと思ったよ!」
ぴょんぴょん、と跳ねるように丘を下り、壱ノ妙の目の前までくるとぽん、と肩を叩く。
サングラスを掛けた顔で白い歯を惜しげもなく見せて、また笑う。
後ろでは何やら黒い物が渦巻いていた。
「・・・・あなた、様は・・・・?」
壱ノ妙は呆然としながら男へ尋ねる。
女が丘を下ったとき、人の気配は微塵もなかった。
いつ、どうやって、この男は壱ノ妙の背後に現れたのだろう。
「俺か?俺はMZDって言う。まぁDJやなんか色々やってるが、本業は神サマだ。よろしく」
早口でまくし立て、右手を差し出した後、
男は少々『不味い』と言いそうな顔をして右手をポケットに突っ込み、左手を慌てて出す。
どこからどう見てもそれは骨ばった人間の手だったが、
本人が言うには、この男どうやら神らしい。
壱ノ妙は益々訳が分からないという声を出した。
「何故、わたくしの名を知っておられるのです?第一、どうしてここを・・・」
「・・・・とりあえず、出会った印を刻もうや。はい、握手」
女の質問をひらひらと受けかわし、半ば乱暴に男は壱ノ妙の左手を取り握手をした。
ヒュウと口笛を吹き、男はそっと手を離すとくるりと背を向け、また丘を登り始める。
壱ノ妙はまだ呆けたようにその様をただ見送っていたが、
大げさに手を振ってこちらへ来いという動作を見せる男を見やり、
初めこの丘を登ってきたように、慎重に道を進んだ。
「質問に、お応えになっては下さらないのですか?わたくしは・・・」
しかし、道をよろよろと登る間も壱ノ妙は声を続ける。
突然目の前に現れ、己を知っているどころか神を名乗り親しげにする男。
自ら果てようと思っていた矢先、とんでもない相手に出会ってしまったと感じる。
「まぁ、まぁ、そう焦るなよ。俺にもあんたにも時間はたっぷりあるんだ。・・・こいつにもな。」
先に丘を登りきった男は、木の下に立っていた。
そこには女が終に尊んだ人形が、変わることなく鎮座している。
男はその人形へやさしく肩を回し、頬擦りでもするようにその頭部へ目配せした。
「・・・・その方を、利用するおつもりなのですか」
それを見た瞬間、ギチ、と壱ノ妙の体は、錆びより増して強張った。
その目には僅かながらも殺気のようなものが漂い、男は冗談めかしく怯えてみせる。
「おいおい、そんな熱くなさんな。俺とあんたとじゃ、俺は一たまりもない」
肩を竦め、自虐的・・・なのだろうか。困ったように笑う。
「お答えに、なって下さいませ。わたくしは冗談に馴染みません」
だが、壱ノ妙はそこへ本心を見出さず、強張りをより強くする。
前傾姿勢のまま、片腕の中バランスを取る。
目は一直線に男を捉えていた。
ピンと空気が張り詰める。
「おい、壱の妙。あんた・・・・」
男が女の名を呼ぶ。
瞬間、壱ノ妙の体は宙を飛び、男の喉下めがけて下駄の足を叩き込んだ。
しかし、またその瞬間に男の背からは黒濁の異形した影が飛び出し、フォーク状の槍を持ってそこに食らいつく。
ガキッ!と両者が交わる音。
ぎちぎちとした零れ音を見せながら互いは睨み合いと力の押し合いを数秒続けたが、
影が投げつけるように槍を振り下ろすと、壱ノ妙は数メートル吹っ飛んだ。
放物線を描き、壱ノ妙の体は勢いよく地面に叩き付けられる。
金属や螺子特有の音色が丘に響く。
すぐさま、からくりは赤目を何倍濃くして立ち上がり体制を整えたが、その胸の前には影の槍が押し付けられていた。
「無理だ。今のあんたじゃ、こいつには勝てねえよ」
男はそんな様を先ほどより数倍真面目な目つきで眺めながら、無感情に言った。
「・・・・質問に答えよう。あんたのことはよく存じてるよ、雨人形壱ノ妙さん。
 200年以上前に起こった前世紀戦争の最上たる恐怖の殺戮者・・・だったっけか、建前は?」
唸るような低い声で、男は続ける。
立ち上がっている間も壱ノ妙の体は揺れるごとガチャガチャ叫んだので、
男は、影が壱ノ妙を牽制していた槍を外すように指示した。
影は素直に男の命令に従い、槍を溶かすように消すと、ふわりと浮かんで男の背へ戻る。
壱ノ妙はじっと男の目を見つめながら、男の話に耳をやる。
「あんたには前々から興味があってな。あんたに関する噂や本や記事は随分調べた。
 まだ生きてて会えるもんなら、是非会いたいと思ってな、ようやく探し出せた」
己を探す。
未だかつて、そのような行為を成されたこともなかった壱ノ妙は、
不思議な心持で、口端だけを持ち上げて笑う男を眺める。
「・・・・何故、わたくしを?」
それほど、己自身に関するものが残っていたのにも驚いたが、
そこまでして探しだした男にも壱ノ妙は驚く。
身を潜めるようにして放浪した何百年。それをこの男は追ったのかと。
「結論から言おう、あんたが欲しいんだ。
 まさか、もう引き取り先が決まってるってわけじゃないだろう?」
高らかに笑い、男は人形に回した手を左右に揺らす。
壱ノ妙はその言葉の意味がわからず、ぼうっとしたままだ。
ほしい?
ついさっき仕留めようとした男にそんな事を言われるなど女は思っていなかった。
その真意が掴めず、壱の妙は動けない。
「おいおい、黙るなよ!これで結構面倒見はいいんだぜ?
 あんたの過去、あんたが成したこと。そんなものはどうでもいい。
 だが、あんたの中に詰まった幾千もの音をそのままにして自殺しようってのは、
 俺にとっていい話じゃない。こいつだって、それを望んじゃいない」
ぽんぽん、と今しがた揺らした手で人形の頭部を撫でる。
まるで壱ノ妙がそうしたように、強く強く、そして優しく。
「・・・わたくしの、音?」
「そうだ。言わば、あんたの膨大な記憶そのものだ。それは俺の中を通ると無数のメロディーになる。
 俺は、それをあんたごと欲しい。・・・別に音だけが欲しいわけじゃーないぜ。
 あんたが住みやすい場所を作ってくれるっていう馴染みの知人がいてな。
 そいつもあんたのことが気になるらしい。俺のとこに来たって、どんなに自由にしていいんだ。
 ん・・・・・とにかく、あんたが死ぬのは惜しい」
男は、顔は笑ったままだったが、目だけは壱ノ妙と影の刹那を睨んでいたときと何も変わらず真剣だった。
サングラスに太陽が染み込み、茶交じりの眼球がぎらりと光る。
「しかし。何故?この方が・・・この方が何故、わたくしたる死を望んでいないとお分かりなのです?」
唐突すぎる誘いに、壱ノ妙は困惑した。
男が持ち出した人形自身の意思。
それは、また冗談か嘘ではないのだろうか?
「そんなの簡単じゃねえか。あんたがこいつの生を望んでるのとおんなじように、
 こいつはあんたの生を望んでるのさ。なに、ちっとも変じゃないぜ?なぁ、キリコ?」
同じ。同一の想い。
その言葉を聞いて、殴られたような衝撃を女は受けた。
最後の最後、彼だけを慈しんで終わるはずだった己。
だが、彼も、女を慈しんでいたのか?
魂・・・はないが、それが抜けたように壱の妙は突っ立つ。
ただ信じられない、といった面持ちで。
そんな壱ノ妙を見、『さぁ、見せてしまおう』と言うように男は人形の名を呼ぶ。
すると、人形の頭部は先ほど壱ノ妙が気づかなかった何倍の光を以って、ばちりと閃光が弾ける。
途端、人形の胴体内の歯車が回り始め、ギギギと指先が動く。
「・・・・・・・・嘘」
呟くような一言を男が聞き逃すことはなかった。
「あんたは生きてる。それで、こいつも生きてるんだ。
 ・・・いや、あんたが生き返らせたと言ったほうが正しいかな。
 こいつはあんたに感謝してるよ、心底な」
人形が動かす指は、動かせば動かすほど滑らかになっていった。
バチバチと強弱の強い明滅を繰り返していた頭部も落ち着き初め、安定した光を保つようになる。
「わたくしを・・・・許して頂けるのですか・・・?」
恐々と人形へ踏み込みながら、跪くようにして壱ノ妙は座り込む。
上げた高らかな声は少しだけ震えていた。
人形は、女を確認するように首をゆっくりと左右に揺らし、
金属を剥き出しにした手を迷うように動かして、胸に置かれた女の右腕を丁寧に取る。
「あんたに返すってさ。あんたに、もう墓標はいらないだろ?」
男はまだ人形に肩を通して、壱の妙を覗き込んだ。
人形は強く頷き、二本の手でそっと女へ腕を返した。
「あ・・・・」
女は渡された腕越しに、人形が女へ抱いた感情が流れくる気がした。
それを心にして、壱の妙は捉えようのない気持ちになってゆく。
二人を結ぶ点に覆い被さるように突っ伏し、肩を揺らす。
「キリコ様・・・・」
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
軋む頬も戦慄く唇も、流れる涙さえ女にはなかったが、
女の胸に生まれた幾億もの暖かい感謝はひとつも途切れることがなかった。
空は茜に染まる。
男は二人をはやし立てるように、もう一度口笛をヒュウと吹いた。

「さて。本当にいいのか?」
すっかり空が暗くなった後、男は二人に向かって聞く。
「わたくしが成した赤い事実は消えることはございません。罪、後悔、救い・・・。
 わたくしはわたくしの心に決着がつくまで、キリコ様と共に生きます」
壱ノ妙は覚悟した声色で強く言い、キリコはこくりと頷いた。
「そんならそれでよし、あんた等の人生、好きに歩んでくれ。
 あ、それとこれは知人から。あんたのこと言ったら、腕、直させろってさ」
まったく人使いが荒いやつだと零しながら、笑って男は壱ノ妙へ小さい紙切れをよこした。
それは金色の紙で、なにか小さいマークが黒のインクで刻まれている。
「こいつにはまじないが掛けてある。広い場所で開けば、すぐに駆けつけるらしいぜ」
「はい。MZD様、ほんとうに何から何まで・・・・」
壱ノ妙はしずしずと頭を下げた。
「いーんだよ、俺は基本おせっかいだから。あ、それと、もひとつ・・・・・・・」
男は面倒なお礼の言い合いはなし!といいつつポケットの中をまさぐる。
「お、あったあった!」
ポケットから出てきたのは茶封筒2枚。
それぞれ本人以外開封禁と大きく赤で綴られている。
「これは俺が主催してる、でかい音楽の祭りのチケットだ。
 整理がついて、暇があったら来てくれりゃいい。歓迎するぜ!」
ニカッと歯を見せ(影までそうしながら)男は親指を立てた。
二人は優しく頷き、顔を互いに見合わせる。
「ん、じゃ、俺は行くとしますかね。せいぜい、喧嘩なんぞせんで仲良くやれよ」
ぱんぱんと手を叩き、男は上を見上げる。
月がほのかに輝いていた。
「ええ。然様なら・・・・MZD様」
名残惜しそうに壱ノ妙は口にする。
男は顔を崩して手を振ると、ぴょん、とジャンプし同時にフッと消えた。
残ったのは二人と、ただ安らかな静寂だけだ。
「・・・どこへゆきましょうか」
壱ノ妙は、男と同じく空を、月を見上げる。
キリコはどこへでも、というように一礼した。
二人にあるのは自由なその身だけだ。影が、ゆっくりと丘を下るのが見える。
「・・・・キリコ様?」
キリコに手を引かれ、壱ノ妙は声だけをたなびかせキリコを捉えた。
首を傾げ、キリコは立ち止まる。
女はその真隣に並ぶと、丘から眼下へ広がる明かりの群れを眺め、
キリコの手をとり、言った。
「キリコ様。・・・・わたくしは、今、ほんとうに生きている気がするのです」
丘に風が吹く。
女の胸の中の許されない罪、血塗れにはまった杭を洗い流すように、丘に風が吹く。
明かりはちらちらと瞬き、二人の間をすり抜けまた滲んで、空より大きく広がっていった。