A radio wave




ざばざざと海を泳ぐ、それはまるで随分年老いた鯱か鮫のようだった。
するどい八重歯に切れ長の、まるで刃のような眼がおれを刺す。『雨男だからね』そう言って、切り刻むように高らかに笑う。
愛の糧っていう傘を武器のようにふり回しては、気が狂ったようにエラ呼吸する。
お前は土砂降りの朝におれを誘って、不堪なおれを掴みだしてこの海の中に放り込んだ。
相合傘がしたいだなんてお手軽な愛情はプラスチックみたいな無機質さ。
雨男を自傷して浴びるように雨を飲む鯱さん、地上の酸素は身に合わないかい?
「あー、さむい」
オクターブ高めで、鳥肌の合図は寒がりの特権事項だろうか。武器のパラボラアンテナじみた白さがにぶい。
ねずみの皮をかぶった空女は地味な化粧を決めて、涙をナイル川のように長く長く流す。
生きていると実感させる雨粒のキャンディは埃くさく、どこか生暖かくけれど冷たい。
八月の豪雨。お前は老いぼれの鯱か鮫。おれは貝殻とダンスをする海の豚。
眼を上手く開かせないようにしてるのは、餌の射程圏内を測るためかもしれない。
睫毛のワイパーも利かないこんな日はどうやったってお前の独壇場。
死ぬまで相合傘をして、死ぬまで雨男へキスを贈る餌にさせられる。
「あっためろよ」
地面はまるで洪水で、空女はきっと雲男に振られてしまったのだろうと脳はかすめる。
重いデニムで都会の狭いインスタント・シーを泳ぐ。抱きしめてとハートを送られて、大嫌いだと濁してみせる。
なるほど、雨男くんは優秀で秀才でエリートの道を進んでるね。
今世紀最大の豪雨という恋人はやつの虜だ。口笛で呼べばひとっ飛びの惚れっぷり。
顔も髪もディープキスに汚されて、身体は体液でべとべとで、お前はそれを満足そうに受け入れてる彼氏。
くしゃくしゃの笑い皺顔はまるでいっぺんなってもう戻らない紙くずの顔。
逆襲よろしく傘を超高性能ライフルにされて胸を撃たれる。5秒の生と死。バイパスにさよなら。
「だから、言っただろ」
相合傘をしようって?雨男だからって?繋がる運命とかって?
どれも現実真っ向だからといって、受け入れる人間器には勿体無い。
鯱は信号機もガードレールもバリバリとその歯で壊して海を蹴散らす。
全部見通した深海魚のような顔だ。哺乳類のスナイパー。飛んで火にいる、たかがおれ。
「ほら、相合傘だ」
けど時にはお茶目を気取って自分勝手に揺らいでみせる。
ビニールの特製をトトロみたいにお願いして、お前は空女へ目配せしてる。
雨の中にいれば全ては相合傘と笑う思考はスタートダッシュが強すぎてついていけない。
一定の距離で踊ったり唄ったり、それをふうんと眺めていたり、アレグロの粉雪みたいね、と言った昔の彼女を思い出す。
あの時よりは数倍暴力的な水滴があちこちを支配して怠惰を順番に潰してく。
清らかな思い出なんてあったかい温泉に浸からせてくれない雲男の往復ビンタ。
彼女は可愛かったね、雨のせいで少しだけ記憶を引きずり出されて、もうおそらく届かない体は柔らかかった。
感傷はお嫌い?唾をはいて、お前を見てやる。抱き締めてやってもいいねたまには。
「相合傘だ!」
確認するように、そうだ、まるでおれに確認するみたいにお前は縋る。
それさえも妄執なのかも、とやっぱり檻で鎖で餌で捕えられているのはおれだろうね。
再びクリーニングされて皺なんてひとつもない綺麗なハンカチみたいな相合傘言葉。
よっぽど同じ中でぐちょぐちょにしたいらしい。
雲が傘なら、お前の持ってるものはなによ、あ、ライフルか。なんて狂気の沙汰。
明るい唇の色はお手製の血糊のようで、甘みはない新宿二丁目のコーヒーみたい。
狂っていてもどこかクールな目線、それがお前の鯱たる所以。
罠みたいな造りの歯を見たい。舌なめずりしてるとこ、そこ!
「聞いてる?」
汚濁みたいな海はどうも空気抵抗が多い。服が水の妖精をそこかしこに負ぶってる。
べろりと生指の二関節を舐めても味はしない。チョコレートがいい。
八月は暑くてきつい。揶揄に沁みて汗で死ぬ。じゃあこれは生きるべきシャワーか?
雨男と空女と豪雨彼女の饗宴におれはもうお腹いっぱい。
けったいなお遊びだって気付いていても、止めるのは面倒なお嬢さん。
ホップステップでコンクリートを窘めたい。
お前が滅茶苦茶になって標識も信号機もガードレールも壊すとこを今のまんまで見ていたい。
海はかさを増していつかノアの箱舟が登場してくるに違いない。
オリーブの葉をひとつちょうだい小鳩ちゃん、いつか来る再生の日を見せてよ。
あのパラボラアンテナで逆接テレビを循環して、いくつのも涙で喉を潤して、
英語の知らない歌詞で潰れるまで歌ってみるから。
「聞いてるよ」
優しい声は得意で通ってる。ほんとう?なんて繰り返して、あくまで殊勝な上目遣い。
濡れてぺたんこの髪の毛にそれなりの目ん玉と甘えた仕草でショートカットさせたい感情が透けている。
傘なんてものは必要ないなんて素直な言葉、気が触れてる方が好き。
喰われて消化されて、結局そんなのを望んであげてるおれ。
豪雨彼女もジェラシーに溺れる夕方はいつでもお前の餌になってやると決めている。
「じゃあさ」
片目が光るのは捕食の合図。化物だと恍惚しては嘘だねと舌を出して、聖夜のコーラス。
日本刀の雷で胃に穴を開けて、カマイタチの風で四肢をもぎ取られる真夏の夜の夢。
結婚のプロポーズは恐らくこんな場所で、指輪の代わりに首輪をあげよう。
鮫の肌に良く似合う、特注の真鍮で造ってやろう。ガチガチに捕えて、ああまったく、
ああたまにはまったくどうにも抱き締めたいね、お前!
距離4メートルを今すぐにカエル泳ぎしてみせてやればいいの?
「こっち来てよ」
どうにか切ない吐息が海を満たす。修道女のような微笑みをした雨男。
脆くて儚いご老人の哺乳類、4メートルは少し疲れる。排水溝が海を飲み込む。ごうごうした渦潮。塩辛くない塩水。
誘ったのはどっちからだっけ?なんて目配せは最高のサービスのはずのジェントルマン。
相合傘目的の浅はかなのは当然で、それでも寒がりは直らないようで、
第二陣のあたためての愛情つきが幾分巧妙の幼稚でプレゼント。眼だけはやっぱり冷めてるのがキュート。
足元でビニール袋の魚が跳ねる。街中の汚れたリゾート地は一夜限りの贈り物。
ゴミの水母も油の貝もアレグロの粉雪にだってまみれて、雪女に出会えりゃいい。氷の結晶もたまには見たいね。
「いいね」
承諾には不適な笑み、やっと餌としてお前の牙で死ねる。
ざぶざぶと泥みたいに重い道は果ての障害、最終章のクライマックス。
じれったそうに動いて手を広げて、ようやく適うねなんてつまらない台詞をほざかれて、
アダムとイブの最初の出会いみたいな夢見がちな思考が地球一回転して成層圏へ飛んでって、
おれは鉛を溶かしたような速度でお前の元へ喰われに行く。喉元に噛み付きたい欲望が自分の喉を通る快感。
危ない橋を叩いて渡って、その先に何が見えるだろうね?
雨はシャワー、カナヅチの海の豚のままヘドロを泳ぐ。ぬめる感触と1メートルまで迫った顔。
「つめたい」
でも抱き締めるってそんな願望は1メートルなら届くって、涙にやられて随分硬直したこの手が先に鯱のヒレに掴まれる。
やけに熱い温度は沸騰してる体温が暴走してるせい。情状酌量、恋人つなぎ。映画のフィルムみたいなあざとさ。
ぎゅっと強い力にやっと、って顔がゆるく歪んでそこに空女の最後の捨て身、ざあざあ泣いてる幅が広がる。
傘がすぐに捨てられて煙に巻かれた町並みがおれ達の姿見を反射させて消して繰り返して瞬いてる。
おれの望んでたつながり、腕から指にぐいとすべて引き寄せて、倒れこむように抱きかかえたりして、水溜りへタイムスリップ。
どぷりと海に突っ伏してその瞬間に背中を打って、でも熱には適わない窒息と拘束。
がむしゃらにお前はおれの背中を貪って、生きてるのって確認するみたい。
わかってる?喰われるのはおれなのよ、そんなこともお構いなしだ。
いつだって結局お前は最後に老いぼれの肉食獣から天使みたいな聖獣になっておれの目の中飛び込んでくる。
電子台の上から電力がこっちを見定めて感電させてやろうかって電線を唸らせる。
風神が強風を吹かせて凍えさせて殺してやろうかってケタケタ笑う。
どっちも困るねと一蹴したって天候の高天原は許しちゃくれない。
高速めいた速度が血になって心臓の中をぐるぐる回る。おれだって沸騰してる。
雷が遠くで鳴って、お前はおれを覗き込んで雷男だねと顔をアイスみたいに溶かしてる。
途端におれの中に次の欲望が浮かんできて、嘘みたいだわと呟いて引き剥がしたくなる。レール込みの暴走列車。
この広い世界、いるのはおれとお前だけ。生きてる海産物のおれ達だけ。
「あったけ」
クールな言葉も冷たい手足も火照りって電子レンジに放りこみゃいい。
そしたらすぐに蒸されたシャチとイルカの姿煮が出てくる。
くっ付いて離れない、アロンアルファでキスしたふたり。最高に甘い味付けで高帽のシェフの手にかかりゃいい。
背中に回した手を遊んだ後っぽく困憊させて、お前の頬を挟む。
泥と砂利で濡れた指先は意味深な感情のスパイス。大さじ二杯、いつも決めてる。
「相合傘な」
いつでもお前は寸前でも自分の欲望優先にするけどその唇がいい。
とがった八重歯がちらちらして口の中に一番好きなハーシーの味が蘇る。
全部炎に包まれたようなお前の身体の唯一醒めてる目に最高の爆弾を放り込む準備は出来てる。
つまんない導火線に火をつけて、じゃあね鯱、こんちは天使。
真上の豪雨っ子が悔しそうにハンカチを咥えてる。もうすぐきっと三行半。
罠みたいな歯並び。餌はどっちだったっけ?
かぶさって来る身体にきつい目を放ってやって、今度はこっちが鮫になる番。
鋭くて辛い口笛、まるで嵐の夕闇で作ったドレスカーテン。
瞑って、ふれて、どうにもならないほど柔らかい凪にゆれる、雨男と相合傘のデート!

狂ってなんかいないよと笑って、今すぐ!

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