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「おや、珍しい」
暗い夜だった。
星は見えず、腹をすかせたような月だけがぼんやりと浮かぶ空だ。
灰がかったコートを羽織い、あまり似合わないマフラーをしている、
大よそ人間とは似つかわしくない容姿をした彼は口にした。
何もない草原と、死んでしまった者の寝場所。
そこに赤い火を絶やさずに居る二つの人影が見えた。
「ウォーカーさん」
たった今声を掛けた相手の名前だろうか。
その彼が居る、空中へ目を向ける。
寒くはないのか、白いシャツと黒いネクタイとズボンを着た男。
シャツの袖は捲り上げられ、ネクタイは緩みを得ている。
冬時に見る服装とは思えなかった。
「こんにちは、どうしたんです?」
ウォーカー、と呼ばれた方だ。
スマートな仕草で草むらへ降り、人影の方向へ足を進める。
「留守番よ、あの無愛想の」
赤いドレスを纏った女が火を木の枝で弄りながら言った。
無表情を貼り付けたまま、彼の方へ向き直る。
「パーティーの前に会えて嬉しいわ、ウォーカーさん」
今ほどの素っ気なさが嘘のように、にこやかな顔で女は言葉を掛けていた。
冷たい風が吹く。
「ええ、こちらこそ・・・・・しかし留守番?一番人気の貴方達が?」
その風に弾ける火花。それに女が反応する。
彼が放った疑問と、女の仕草。両方に男が態度を示した。
「今日は、劇じゃなく大事な用と聞いたので・・・大丈夫?」
返答からの気遣いの声に、思わず彼が会釈をする。
ああごめんなさい、と男が女に目をやり、女も軽くごめんなさいね、と言う。
紛らわしくて・・・と男が情けなく項垂れる様を彼は優しく止め、
同じように気にしないで下さい、と付け加えて謝った。
「詳しくは教えてくれなかったんですけどね」
大事な用、の中身だろうか。
まだ男は申し訳なさそうに頭を屈めている。
「あいつ、自分勝手だから・・・貴方もよく知ってるでしょ、そのマフラーとか」
女も謝罪を含め、また少しおどけたように笑いを込めて言った。
奇抜な色のマフラーへ言葉を掛けながら、しかしそれでも彼のセンスの良さを誉めるように。
「・・・・・・お上手ですね、例えが」
照れているのか、彼の皮手袋に包まれた手のひらが顔へ向かう。
「そう?だって全然似合ってないもの」
「あの人、相手のことを考えるの下手ですからね」
男が女の声に続いた。
空は漆黒。
両者の視線から、両者の待ち人の訪れは遠く感じる。
彼は結合のない首を隠す為だけではない理由で巻きつけたマフラーに、己を恨んだ。
焦りを催すと手で口元を押さえる仕草は彼の癖だ。
それを女は見抜いている。
小さな様で相手を上手く見破るのは、女の特技。
「・・・・そう囃さないで下さい、慣れていません」
「あら、始めに私達に相談を漏らしたのは誰だったかしらね」
女は彼に目線を絡め、満足げに口を綻ばせる。
「ですから、それは・・・」
「じゃあ、後悔していますか?」
彼の、少し言い訳じみた発音を男が遮る。
唐突な返事だった。
男は女の持つ棒を受け取り、火を突付く。
「後悔?」
「僕達に相談を持ちかけたことです」
赤い炎が揺れる。
風を受け、体積を増しながら闇を消す。
吐き出される声も、呼吸も飲み込んでいくようだ。
「・・・ああ、いえ、とんでもない。感謝していますよ」
彼の溜息のような声に男が安堵の顔を見せる。
宇宙の惑星に似た頭部が火の光を受け、照らし出されていた。
その反射の光を二人も、二人の待ち人も好きだった。
「そうですか、良かった」
「でも、可笑しい」
男が柔らかい微笑みと溜息を吐き出す束の間、女は尚くすくすと笑う。
「貴方ほどの人が私達に相談するの、普通じゃ考えられないじゃない?」
「話を蒸し返さないで下さいよ」
「聡明で、律儀で寡黙で・・・・そんな人が、いきなり」
「それは・・・・」
「・・・ハニー」
再び焦りを見せた彼を切りよく助けたのは、偶然にも彼が待たずとしていた人物だった。
楽しげな女の言葉を男が止める。
その目の先は、草むらの遠くに見える影を捉えていた。
「ご到着、話はまた今度だ」
「・・・・・・・本当、こういう時だけ運が良いのね、むかつく」
同じ影を見つけ、不満げな女の声に男は優しく窘めの目を見せた。
「だから僕らは彼の元に居るんじゃないかな?」
「・・・・貴方もとっさの宥めが上手い方よね」
眉を吊り上げたまま、女は皮肉の台詞を投げつける。
新鮮な草が踏み潰されていく音も、影も近まっていく。
「そういう意味じゃないってば、ハニー」
「知ってる、貴方が自分に嘘吐けないの一番分かってるの私だから」
惑いを含んだ男の声を女は見逃すこともなく、
己の負けを自ら認めるように、頬を赤らめていた。
「良かった」
何度目かの男の安堵。
「お前達!」
そして待ち人の声。
「煩いわね、そんな大声出さなくても聞こえるわよ!」
「お帰りなさい、ジズさん」
「・・・・・こんにちは」
三者の声が同時に重なり、声を上げた当人は不機嫌そうに顔をしかめた。
黒いマント、黒い帽子、黒い服、黒い靴。
黒に支配されたような風貌の中で、映える緑色の肌は、
その者が人間ではないことを颯爽と提示していた。
「何か変わったことは?」
「いえ、特に何も」
歩を進め、女の売り言葉を無視し、その表情のまま男に報告を求める。
男はその言葉に素直に反応を示したが、微かな異変に気付いたのは「何も」という声を発した直後だった。
男を見ている筈の目線が全くお門違いの方向へ向いていた為だろう。
自分の言葉は何も尋ねなくても話すタイプだった。
声が止まっている今、長年付き合いを重ねている男が何も反応を示さないのはおかしな出来事でしかない。
「・・・居たのか」
「・・・・さっきから居たんですけどね、気付きませんでした?声まで出した気もするんですが」
男が振り返る。
彼は手を広げ、それを顔の横で優しげに左右に振り、男の斜め上を見ていた。
彼自身を見つけた眼と動揺を、少し嬉しそうに捕らえたままで。
「どうして、居る」
「偶然お二人をお見かけしましてね、どうした事かと思って」
男と女に彼が視線を掛けた。
その行動に気付いた相手も見慣れた二人へ目を向けた。
そして不意に、含み笑いを見せる。
「奴らに付き合うとはお前も趣味が悪い」
あんたの方が・・・!と近くから聞こえる罵倒を男が咄嗟に押さえる。
そんな様を見送り、彼は言った。
「彼らは良いパートナーだと思いますよ、君は自分の主観で物事を計りすぎだ」
静かな、それでいて強い窘めを相手は気に喰わない様子で流す。
「勝手に仰れば良い、それに・・・」
「何かな?」
彼の口調はその相手の調子を狂わせているように見えた。
マフラーにちらちらと目をやり、動揺を意識せず誇示するように咳き込んでいる。
「説教を受けるような・・・」
「関係ではないと?」
疾うに先回りはされていた。
空が徐々に色を薄めて来ている。
もう少しで、月も同じく存在を薄めるだろう。
ぽっかりと闇に色を奪われたような眼が忌々しそうに細まった。
「・・・もう結構だ」
「おや、謝ってくれるのかい?」
「・・・・・」
「ジズ?」
彼が、名を呼んだ。
「・・・・半刻ほどで朝だ、私は帰る、お前ら!」
舌打ちが聞こえた直後の、会話を裂く大声は二人を呼ぶ声だった。
その声に先程の女の台詞を憶え、彼も慣れしまった溜息を吐く。
「は!?」
男に口を押さえられ、まだもがきを続けていた女は、
不意打ちに驚いた男が思わず手を離した途端に解せない声を大きく発した。
「早くしろ!日が出たら面倒だ!」
相手は言葉を置き、二人を待つ素振りも見せずにマントを引きずり去っていく。
風がなびいた。
千切れた草が舞い散り、遠くで黒い残像がはためくその場所で、その景色を三人は見送っていた。
「・・・・戻らないと」
呆然とした空気をそのまま、数分の静寂が破られる。
我を取り戻したように男が言った。
「早く戻らないと、ハニー」
「・・・・そうね」
手短に男と女は頷きを交わす。
「では、私もそろそろ」
倣うように彼も二人の目線を受け、笑顔を揺らせて頷いた。
「じゃあ、また」
高低の少ない、二つの声。
重なった別れの合図に男と女が顔を見合わせた。
少しづつ二人の口元が緩み、女の方が先に大きな笑い声を発する。
男は彼に向かって照れ笑いをし、女は男の肘を小突く。
明るげな声が一帯を支配する中、彼も釣られて優しげな声を漏らした。
「仲が宜しいようで」
「やあね、こういう時ばっかり」
女は心底可笑しいように口を押さえる。
嘘ではないですよ?と言うように彼は肩を竦めた。
「羨ましい限りですよ」
「どっちの台詞かしらね」
一際高い笑いの後、女は掠れた声を宥めるように咳をした。
女を気遣い、背中に手を当てた男は彼を見つめてふと言葉を漏らす。
「僕らは、貴方達のようにはなれませんから」
脈略のない男と女のその言葉に、彼は不思議そうな表情を見せる。
男は声が途切れる間際、女を見て顔を少しばかり赤らめ、
女はそれを見て目を細め、先程よりも控えめに、小さく口を開き声を発した。
「そうね、貴方にも分からない事があるのよね」
意味深な表情で女は彼のマフラーを撫でる。
今気付いた事実だ、とでも言葉を例えるように。
「それ、どういう意味・・・・」
「さ、日も高いわ、帰らなきゃ」
とん、とその手のひらで、重さの低い彼の身体をマフラー越しに女が押した。
「じゃあ記念すべき十回目に会いましょう、ウォーカーさん」
そして女は彼の開きかけた口を閉ざすように、にこりと笑った。
不可思議な表情のままだった彼は豪快な笑顔の女を見つめ、
下を向き、心底嬉しそうに楽しそうに喉を鳴らせた。
「敵いません、貴方には」
まいった、と両手を肩幅に開く仕草。そして言葉が続く。
最後の冗談に、女も大きく態度を示した。
「私達もね?」
疑問系の言葉には再会の返事を含ませる。
位置を半歩下がった場所に落ち着かせ、浮かぶ支度を始めながら
草から空へ視線を揚げて彼は柔らかにイエス、と笑った。
「有難う」
その笑顔をしっかりと受け取った後で感謝を放り、
女は男の腕に自らの腕を絡ませ半ば強引に引っ張って、くるりと向きを変えた。
「また!」
慣れた女の力によろけながら男が大きな声で彼の目を捉えた。
「ええ」
返事を満足そうに受け取ると、男もまた微笑んだ。

彼は黒い革靴で地を蹴った。
草が風を受けて少しばかり形を変える。
灰のコートは空気の摩擦を受け、微かに音を鳴らしていく。
己のマフラーの色を目にして、彼の身体はふわりと空を舞った。
遠くの二人の黒髪が揺れる。
風が吹いた。
空は群青。
星を連れる彼に、よく似合う色だった。




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