そんな音をした、威嚇射撃のような雷が数センチそばに落ちた。 ・・・ような気がした。 「・・・・ん」 目を開ければ、そこは賑やかなアーケード街の真ん中だった。 パイプ椅子に座り込んで、うっかり寝ていたのはおれ。 賑やかなアナウンス、笑う人に無表情の人、自転車のベル。 少し暖かくてしめった嬉しくない気温、コンクリートがいぶされた匂いと新茶の匂い。 そして遠い雨の音と、弱い雷、白いお化けにカラフルな傘だ。 「雨の割に賑やか」 おれはそっと、鮮やかな音に掻き消えるぐらいの声で言う。 時計を見ると4時半。 この辺の商店街ならにぎわう時間だ。 「その割に客はゼロ」 うちは茶葉屋で、創業何十年かのけっこう老舗だ。 父ちゃんと母ちゃんはなにやらの野暮用で、じいちゃんとばあちゃんと猫のたまは奥にいる。 おれはいい年してもここを継ぐ気にはなかなかなれない無職で、 それなのに今はなぜか、ここの店番をしている。 「ふぁ〜ぁ」 カウンターに座ったおれの居眠り。 それを起こす客もいない。店には人の影もゆうれいの影もない。 「安いよ!3匹で500円だよ!」 真正面には魚屋で、幼なじみの映子ちゃんが客引きをしていた。 向こうは随分賑わっている。 映子ちゃんは昔っからおれの憧れでもあったけど、 つい3ヶ月前に、がっちりしたマッチョな漁師風の男とあっさり結婚してしまった。 奴は婿養子に入ったらしく、魚屋の4代目として今、活躍している。 「んん」 伸びをしながら、おれは店を眺めた。 今更茶葉屋なんて儲かるはずもない。客がいないのがいい証拠だ。 6月の不快な湿気を鼻でおおいに吸い込みながら、 どこにもいかない心の中の憤り・・・あるいは迷いを、歯を食いしばって押し込める。 ああ、またつまらないことを考えてしまう。 「にゃぁーん」 おっと、おれの嫌な思いに気づいたんだろうか? たまがのっそりと奥から歩いてきた。 丁寧に鳴き声まで一緒にして、水晶みたいな眼でこっちを見る。 「客引きですか、たま殿?」 へつらった声で、おれは手もみでもしながら細目した。 たまは『下らない』と言いたげな顔でカウンターに飛び乗って、 あくび、伸び、顔洗いの三コンボで、するりとガラスの床へ寝そべる。 目をつぶって丸くなる、至福の顔はなんとも眩しい。 「あーあ、お前はいいよ」 目の前に自由を過ごす生き物。 それを見るのは、自由をやり過ごしているおれだ。 負け越す気持ちで、たまの背を毛流れにそって撫でる。 とくんとくんと心臓は波打って、確かにこいつも生きてるのだと今になり実感する。 雨の音が耳をつく。 おれの目の前を通る人たちにだって、それなりの波もある。 悩まない人なんていないのだってわかっている。 雨臭い。 今雷が体じゅうを通ったら、おれはどうなるだろう? たまの背中を規則的に撫でながら、不穏なことを、おれは思う。 「茶は嫌いじゃ、ないんだよ」 落ちるわけがない雷に感じるのは、無駄な安堵と、必要ない言い訳だ。 茶は嫌いじゃない。 ほんとだ。 静岡に生まれてもよかったと思ったことがあるのもほんとだ。 周りに溢れる緑茶や玄米茶やほうじ茶を眺めても、出てくるのは不確かで輪郭だけはっきりしてる愛しさだ。 「でも、嫌いじゃないだけで、なぁ」 それでもおれは、まだ迷う。 ぐるぐるぐるぐる、ゴールが見えない。 不がい無さばかりが体を襲って、はぁとため息もつく。 「ただいま〜っ!ちょっと、これ持って!」 「おう、ちゃんと店番してたか?」 なーんて・・・、いつもの通りの尊い悩みと焦燥を謳歌していたその時、 父ちゃんと母ちゃんが荒げた元気を振りかざして帰ってきた。 二人は買出しに出かけてたらしく、揃ってパンパンのビニール袋を下げている。 満足げな顔に疲れた顔。 父ちゃんはきっとまた手伝いに借り出されんだろうな。 のろのろとカウンターから這い出して、おれは母ちゃんの荷物を受け取るべく二人を出迎える。 「客来ませ〜んでしたっ」 忙しく奥に引っ込んでいく母ちゃんの荷物をすれ違いざまに受け取って、 おれはもう休みたいって顔をしてる父ちゃんに、変な笑顔で店番の無意味さを伝えた。 受け取った荷物はずしんと両手に来る。 軽々抱えてた母ちゃんは、間違いなく化け物だ。 「あんだお前、それマジか?」 「マジでーす」 嘘ついてどうすんの?と加えて、おれも奥へ向かう。 父ちゃんがマジとか言うと、なんだかおかしい。 へへへ、と不気味に笑って、畳張りの座敷に荷物を置く。 「あんた何気持ち悪い顔してるの?」 「べっつに」 目ざとい母ちゃんは置いといて、父ちゃんに視線を向ければまだカウンターの横に突っ立って、 まずいな〜なんて呟きながら深刻な顔をしていた。 ここで冗談でした!なんて笑えればいいけど、真実だからどうしようもない。 しばらくしたあとで父ちゃんもこっちに来て、 弟抜きの家族全員が、買出しで補充してきたものの整理をはじめることになった。 ガサガサとビニールをいじる音がなんでもない会話に混じる。 畳の匂い。茶の匂い。 「にんじん、たまねぎ、ねぎ、じゃがいも」 「豆腐、カレー粉、らっきょ、牛肉」 「何?今日カレー?」 他愛ない会話も一人じゃできない。 わかってる、わかってるって。 少しだけぶっきらぼうになりながら、ふと後ろをふり向く。 そうしたらたまがいつの間にか起きていて、さらりとこっちを眺めていた。 「ニャオン」 甘ったるい声で、たまは一回鳴いた。 水晶の瞳に写ったその声は、なんだかやけに優しくもあり、叱責されてるようでもあり、 その目から、声から、なんだか視線を逸らすこともできないまま、 おれはしばらくの間・・・といってもたった五秒くらい、呆然とした。 「なにやってんの、早く!手、動かしなさい!」 「福神漬、ないぞお前」 たまはあくびをした。 おれは母ちゃんに手をはたかれて、しぶしぶ作業に戻った。 時計を見れば5時25分で、腹がぐぅと鳴った。 カレー。カレーも随分食ってない。 ふぅと胃から空気を抜いて、これからありつけるかもしれない母ちゃんのさらさらしたカレーを想う。 「にゃーん」 空想の威嚇射撃で、たまの眼で、あと一歩の距離までおれの気持ちは迫ってしまった。 ああ、誰か、おれの指を今すぐとっさに噛んでくれ。 それなら多分決められる。きっと、きっとだ。 ボーンと一回時計が鳴った。 ああ、5時半だ。 時にはそれを「幸せ」だと叫びたい瞬間も・・・あるかないか。 BACK |