kiss








彼女は笑ってぼくを見た。
オレンジの笑顔。
まばたきごとに動くまつげ。
ぼくはピアニカでメロディを奏でた。
ぼくの部屋じゃなく彼女の部屋でもない場所で。
彼女は目を伏せて耳を傾けた。
赤いくちびる。ピンクの頬。
白い息が舞う。
ぼくの白と彼女の白が混じって、黒を一瞬灰にする。
息を吸う。
息を吐く。
彼女の呼吸で音がする。
ぼくは少し目を細めた。
目の中で小さく光が滲む。
かすかな感情の歩行。
二人きりの呼吸。
オリオン座が頭上でささやかに輝く。
きらきら光る夜空の星よ。
ピアニカから漏れるまぬけな音。
それにだって魔法がかかる夜。
ベレー帽を深くかぶる。
甘くない声でごまかす。
群青のトーン。
ガードレールにもたれる身体ふたっつ。
重力に逆らわない重み。音と感情。
ぼくの黒い髪がそっと揺れた。
彼女の茶色の髪もそっと揺れた。
狭めない距離。
広げない距離。
肋骨の裏で感じる鼓動。
手を繋がないでもわかる。
抱き締めなくてもいい。
単純ゆえに厄介。
そんなぼくらのメロディ。
まぶたの裏は空色。
今日の色には似つかわしくなかったってそれでいい。
目の奥の一点の光。
彼女はそれをめがけてぼくの目にキスをする。
大好物のキャラメルマキアートより甘いその事実。
ぼくにしか分からない最高の事実。
それは満足では決して計れもしないんだ。
空の上の黒いカーテン。
合わない色の靴は二足。
かかとを三回鳴らして、彼女は笑ってぼくを見る。
ほら、また、オレンジだ。