暗闇にまぎれたの肉食獣の目だ、と私は思った。 真四角の箱の中で一息呼吸をするたびに襲う点々とした灯は、 温かみが欠片もないことをこの数十分で知った。 「(嘘だ)」 ゆらりと身体を動かすごとに、舌と唾液と湿った息が奥へ奥へとまとわりつくのが分かる。 喉がひゅうひゅうと笛のように鳴る。 目をたぎらせても、彼は見えない。ああ、当然だ。彼には色も形もない。 「(きっと違う)」 生暖かい。どうしようもなく、生暖かい。 確かに感じる肌の滑りだ。これも全く、現実たる現実の証明だ。 私はぬめる身体と反して、氷水につけたような指先を握り締める。 『お前が望んだことだろう』 うぶ声にも似た、彼の音は天から降り注いでくる。 何分毎かに覆いくる嘲り交じりのせりふは、私の感情をかき回して去っていく。 私が望んだ結果? 指から腕、腕から肩へ、その冷えは着々と迫ってくる。 成り代わられる算段は着々整ってきている。 私がこうして、深く息を調えつづけている間にも。 「(私は私でなくなると)」 普通なら慣れるはずの暗闇も、ここでは黒々としたまま揺らがない。 もしかしたらこの場には慣れるべき風景もないのかもしれない。 灯はゆるい八の字を描きながら音もなく明滅する。 それだけが光となって、私の目を、そして彼を静かに晦ませている。 「(自我だけが・・・)」 血生臭く、爛々とした灯。朴訥に禁欲的に揺らぐ灯。 私は獲物で、しかし私が狩られることはない。 絡めとられて、消化されていくだけだ。 彼の力によって何もなかったように日々だけが過ぎる。 益々、身体はじとじと粘り気だけを増していく。 『生きたくはないと、また死にたくもないとお前は言った』 強欲を身につけて、空を飛べるはずはない。 鉛の糧を両手に持って、身軽で居られるはずはない。 舌が拡張されていくのが微かに分かる。 手の甲がざらざらとした感触になっていくのが分かる。 彼が嘲る。 『だからこそ、適えてやった』 「(言うな、言うな、・・・聞くな)」 望みこその望みを、まさぐったのは彼だ。 それを醜く、嬉々としながらむさぼったのは私だ。 だからこそ私の体は今、一秒ごとにも変化を続けている。 丸くした手の皮膚に当たる爪が消えていく。 足の感覚がひとつになっていく。 「(それは私の言葉じゃない、・・・違う、違う、違う)」 『まだ言うか?女』 一番最初に剥ぎ取られた声を喉一歩前で軋ませても、彼は正常な心持で続ける。 嘲りと哀れみ、二つの感情を丁寧に織り上げて、それでも音色は変わらない。 「(・・・嫌だ)」 首を振り、私は私で嫌悪と拒絶をかき混ぜる。 鱗がびちりと隙間なく、肌という肌にすべり込む。 今更『NO』を彼が受け入れるはずがないのを脳の片隅は理解している。 それでも、私はこの状況すべてが偽りと処理されるそのときを待った。 ・・・ああ、私はいま、愚かをも抱いているのか。 『お前はお前ではなくなるのだよ』 頭をなぜる母のように、彼の声は猫を被った。 それは何をくつがえるのを期待していた私を軽々うち砕くようでもあり、 もう数十秒を待つことなく私がそうでなくなるのを彼が確信したようでもあった。 「(・・・・ああ)」 八の字に沿った動きをなぞり私の目は霞んでいく。 蝿のような動きに美味そうだという考えがよぎる。 腕もなく足もなく、間接もない。 彼の声が遠くなり暗闇だったはずの視界が一面の緑になる。 「(お前は誰だ)」 そして私は私でなくなり、生きも死にもしなくなる。 舌を出したまごを飲み込み、しゃあしゃあと体をくねらせながら。 蛇になる女ともしかしたら女そのものかもしれない「彼」 BACK |