Love




『これを恋と位置づけるとすれば』、
そう私は殴り書きに近い文字で、B5の、B2で汚れた紙に書いた。
黒ずんで散らばった、私の愛しい奴らの笑顔はこっちを向いて、
固まった生首の博覧会になっている。いつもの落書き。いつものラフ画。
おきまりの2文字も、なんの躊躇いもなく書かれている。
感情の爆発に、感覚の暴発。いつもの思い。平面への憧れ。
届かない性別への、かすかな戸惑いと勝手な遊び。
そんな私は、ある種の崩れた趣味を持ったただの女だった。
『憧れはとっくに経験してる』、
殴り書きを付け加えて、高校の美術部の先輩を思った。
なにもかも完璧だった人に、私はその時憧れていた。
技術も、センスも、容姿も、頭も完璧だったひと。
憧れていたというよりはただ単に焦がれて、惹かれていたのだと思う。
恋として。叶わない、ふれ合いとして。
結局その人に対して私は何のアクションも起こさなかったし、
その人も自分に見合った恋人を見つけ、そのまま卒業していった。
そのときの感情を、淡い恋と例えるのは恥ずかしい。
全体的なその人への思いは色々な部分で汚れていたし、
相応しくないとはなから掛かった上での想いの寄せ方は、
暗く浅ましく、そのくせどこか「期待」をするような醜さで溢れていたから。
その頃から私は自分自身の恋愛観に絶望するようになったし、
運良いことにそれからは惹かれるような人も出来なかった。
おもむろな無意識で心にセーブがかかったのかもしれない。
生身に対する遠慮・・・その分、もう一方の執着は強くなった。
お金の掛け方も時間の掛け方も感情の掛け方も、すべてに於いて。
けれど、ひとりきりの満足は切なく空しいけれどもとても平穏だと思う。
与える害もないし、与えられる害もない。
平穏で平和。繋がらない、空回りの、誰にも向けられない愛。
あるいは、とても自己中心的な慈しみ。
そうやったやり方で、私はこの何年かを生きてきた。
一方で恋愛を否定しながら、一方でどこまでも乱暴に性を扱い、
私はゆがんだ二つの部屋を静かに持て余してきた。
『女を好く。恋として。生身を。女を』、
おんな。私に一番近く一番遠い生きもの。
手を伸ばせば5秒でさわれる、どこだってさわれる、
何秒見つめても「何?」の微笑みで終わってくれる生きもの。
美しく汚くただ可愛らしい生きもの。よごれた一文を一気に書いて、私は天井にため息をした。
好くというのは、一方的なら楽だ。
しかも、相手がこちらに対してなんの反応も返してくれはしない、
というか、すでに住んでいる次元が違うような相手なら、尚更に楽だし心地いい。
これもある種無償の愛と呼べるんだろうか。毒のある愛。人権のない愛。
私はこの何年かこの形に終始してきた。上で言ったとおり。
けれど、この文章から見るとちがう。
今、私は恋をしているのだ。生身の人間に対して。しかも、おんな、同性の人間に対して。
『嘘だよ』、
ざらざらと、文字と絵で込み入った中の、紙の空いた隙間に曲線を連ねる。
すぐさまそこにはありがちだけれど愛しい、ひとつの彼が出来上がる。
彼のは今にも泣きそうな顔をさせた。横に鍵かっこを付けて、そう一言を足した。
嘘ですむなら。そう思ったけれど、私が何日もかけて描くコマ割りのそれと、
日々積み重なっては溶けていく現実はまるきり違うのだ。
常に理解があり、無機質で、うつくしい感情だけの救いが必ずあるそれ。
肌が暖かく、空気に匂いがあり、怒りも憤りもある現実。
待っていれば届く奇跡はない。ここには、どこにも。
「嘘だよ」
うっすらと口にした。堪えきれなくなったのかもしれない。
声は掠れていた。何故かはわからない。
手にしたシャーペンを置いた。手が震えて絵は描けないと思ったから。
彼の顔と、出来るだけ同じような顔をした。繋がれたと思えるように。
涙は出なかった。ほかの神経はすべて、私自身の目玉が泣く事に、
完璧な構えを見せてくれていたけど、その期待に私が副うことは出来なかった。
けれど、視界は中に電気が入ったように一瞬ぶれて、私は竦むような悲鳴をあげた。
誰もいない部屋で、ひとりきりで。
「・・・・・嘘だよ」
愛している。
理解と返答の諦めと、世界中の同じような人間の同じ思いを集めて、
私は真っ白なカーテンを織りたいと思った。
同じように立ちすくんだ人間のために。
同じような、私自身のために。
『恋は面倒なだけ』
そして私は脳裏に書いた。
震えた手が文字を書くだけの作業にさえついていけない状態になったことも、
その文字自体、形として残したくないことも知っていた。
部屋に散らばった、真っ黒い紙たちを眺め回したあとで、
ほとんど頭に入らないまま付けっぱなしになっていたテレビを消した。
一息。一息。
ゆらりと立ち上がって、洗面所へいった。
ミント味の歯磨きをして、青りんご味のうがいをした。
カモミールの匂いの石鹸で顔を洗った。
ローズの匂いの化粧水をつけようと鏡を見たとき、少し鼻が赤い私がいた。
現実の現実。
しばらく時間が止まった気がしたけれどそれは幻で、
気付いたら3分ほど経っていたので私は手早く化粧水を顔につけて早々にパジャマに着替えた。
真っ黒い紙の間を縫ってベッドへと潜りこむ。
私の要塞。誰にも入り込ませなかった筈の寝床。
そこに、今願うのはひとつの暖かい体だ。
目を瞑ればやさしい匂いを感じる。
このまま目が潰れれば良いと思った。
こんな私が、得られるわけなんてないと分かっている。
それでも、私は「期待」している。
紙の上の彼らにそれを望むように、かつて彼へそう思い続けたように、
私は今なお、成長せずに望むのだ。楽なように。
そうやって苛める。そうやって追い詰める。
待っていれば届く奇跡はない。どこにもない。
恋は面倒なだけで、愛なんて存在して存在しない誰かへ振舞うのが丁度いい。
そう思っていたのに、世界は加速していく。
短い命が急いて急いて生きるように。
私は頭まで布団を被った。
私の熱で温まっていく布団の内部。
それは逃れられない熱で、誰にも奪えない熱だった。

理解不能域と名付けるなら、歩むとするなら

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