21/ 「起きてるなら聞いて」 大して個性もない一般的な声で、そのくせ大分甘い声で、 僕の視界はただの汚い部屋で、彼女の視界はただの汚いドアで、 「ねえ、ごめんね」 彼女はきっときれいな赤いエナメルのピンヒールを出して、 ピカピカの黄色いスーツケースと茶封筒を持って、 「怒ってもいいよ」 僕は彼女に背を向けたままで、まばたきを繰返して、 それこそ死んでしまった蛙のように、僕はじっと身体を硬くして、 「・・・バイバイ」 そして彼女のそれはちょっと喉に何かを引っ掛けたようにまるで変わって、 僕はそれに少し反応をして、ドアの閉まる音がして、 「バイバイ」 目の前の味気ないそれらは本当に変哲がなくて、 僕の声も飲み込まれていくようで、僕は砂のまじった煙草を口にして、ゆっくりと目を閉じた 22/ がりがりの身体できみはどんなことを夢みてるの 薄いまぶたの下できみはどんな風に世間をみてるの あんまりにもゆるくまがった背骨できみはどんな地面をみてるの 頼りない顔をして笑って、自信だけはたっぷりで、たまに少しさびしい眼をする、 そんなきみはどうして今泣きそうにしているの 狭い幅のなで肩をどうしてそんなに揺らせているの 手が震えているのはどうしてなの、なぜそんな顔をするの、 どうしてきみを癒すこともできない、ぼくのところに来てしまうの 23/ 気持ちが悪いと君はたまに言う、そして君はチェスを動かす 黒い駒が君の細い指先で動かされる 「チェックメイト」 君はそう言っていつも微笑む、俺の知らない誰かに向かって 俺の方を向いてくれと言ったって君はきっと無視をする 指折り数えて待ち焦がれる7って数字は変わらないままで、たまに舌打ちをして自己嫌悪する 君はすごく綺麗で、周りの誰よりも綺麗な姿で俺を射抜いた 生まれ変わるなら君の持つ駒になりたい、騎士の姿で 君はいつも微笑んで、凛とした顔で華麗に駒をあやつる 俺は君の強さにいつも焦がれてるんだ、小さいブラウン管の向こう側で 24/ あんたを助けてやりたいと俺は何度祈ったか分からない あんたは今にも壊れそうな顔でぐじゅぐじゅ音を鳴らすんだ あんたはすぐ粉々になっちまいそうな目で俺を誘って舐めるんだ 引き摺り出すあんたは吐いてしまうほど気味が悪くて俺はそれに目を瞑るんだ 真っ青な意識をあんたは見せてそれなのにあんたは真っ赤なものに塗れてる そうやって啜って抉って斬り捌いてあんたは俺に見せ付けてくる 俺はいつもそれに抗えず手を染めちまうんだ あんたが何処に行きたいのか何をしたいのか俺には分からない あんたは悲しそうな目をしてまともに成りもする あんたは日常に溶け込んで笑ったりもする あんたはまるで普通の人間のように振舞うことも出来る でも俺に向かいあんたは崩れ落ちて恍惚に満ちて手を伸ばしてくる 俺はあんたを助けてやりたい訳は今でも量れない祈ったって届かない それでも、俺は、ただあんたを助けたいんだ 25/ やわらかい貴方を見る そうして日々は深けていく 5と言えば3と言い、10と言えば7と言う 指を絡めればゆるく撫でて二回叩く 冷たいシーツを暖めて電燈を消す 耽けた闇 温度と共に寄り添う部屋 26/ 「つまらない」 まったく平凡な部屋の中で影は揺れて大きくなり小さくなり 周りを見回してもあるものはなんら変化のないもので 時計の音が響いて一秒一秒を押し上げている 「つまらない」 返るはずの返事は来ず在ったはずの賑やかしさはない 声は溶けて細く白い煙になって天井へと上り天上へと昇る 青い空の切れはしを見てもう一つの形をそこに留める 「それも知っている」 応えた答えは必ず笑っていた顔がそこに居るように浮かぶ あらかた探した行方が透ける 平凡な部屋の中で、一つしかない影は優しく撫ぜるように伏せた 27/ 器用に動く左手、右を向く美人の君、いないぼく 白い紙の中で綿密に書き込まれていく君をぼくは君の隣で見る 君は自分のことをぼくが思うより随分きれいな容姿で書いて にこやかに口を曲げてにこやかに目を細める ぼくはその厚かましさにいつも息を吐き続けるのだけど、 そんなことを君は気にしてもいないみたいだ まつげの長い、紙の中の君は少し眉を顰めて不満そうにしていて なぜかその表情はぼくに向けられているようにも思う 上手く言えはしないけどぼくは別に君の厚かましさは嫌いじゃない 美人の君は君がぼくに贈る最大限の皮肉だとも感じるけど 別に紙に居ない肉感のある個性的な君の顔だって嫌いじゃない まあ上手く言えはしないけど、ぼくは君のことがきっと好きなんだ 28/ 『喉が渇いたので水を飲む』という自然なことをあの人は何故かためらう まるであの人があの人自身の日常を認めたくもないように サプリメントをガリガリ飲み干して『綺麗になるの』とあの人はつぶやく あの人が好きな彼はきっとあの人を素敵だと言うのかもしれない 僕はといえばいつものようにカツ丼を食べてたらふく太って 風船を飛ばす公害を趣味にあの人を生活の一部に入れようと努力をしている 蛇口をひねればあの人が出てくるように願う 彼はいつだってそ知らぬふりで『別に』なんてはぐらかす あの人と彼の狭間で僕はいつも小汚いコウモリになって ピエロを演じてはつまらない闇の中ひとりで笑っていたりする 29/ あなたのすべてが愛しい、だなんて 嘘と虚心にもほどがある 今見えるその哀しげな瞳の裏は まったく爛々としすぎた欲望の火でうずまっているんだ どうせひとりの時には赤い爪へ息を吹きかけて 甘い言葉で撫でればなんだって言う事を聞くのよ、って 蔑みと共に言っているに違いないんだ きみは華やかすぎる美しさの内側で 血のべったりとついたくちびるのままニヤリと笑っている悪魔だ ぼくはきみの全ての浅ましさを知っているんだ ほら、またきみはぼくを嘲るんだろう 潰れたまぶたを、歪んだ鼻を、ただれた口を、この粘ついた想いを 愛していると言う、そのまなざしの底で 30/ いい子だ、すぐそばにくる ばかな子だ、それでも可愛いものだ 頭を撫でれば舌を出し、顎下をくすぐれば尾を振る 緩やかな儚いまなこでこちらを見る君達 従順で下に出、そのものとして生まれた筈ではない君達 作り変えた私達に注ぐ根底の恨みは今でも生きているのか ひき裂いて打ち震える恍惚、光る闇の眼、肉の味の喜び その獣の本能までを作り変えることは私達には出来ない 愛玩具としてなだめた末のいじけた狂気 今の君達は舐めた後で噛みつけるほど強くはない 耳を立てて気付き、帰りを待って座り、ドアの音で目を細める ばかな子だ、とても可愛い いい子だ、君達はそうやっておすましをしている方がずっといい |