SHORT SHORT SHORT









1/

ひどく濃度の薄い黒のフィルターで覆われたおれの視界、
そこから映る陰惨な空、おれに向って吹く風は真っ当におれを馬鹿にする
ばたばたとなびいては歪む、不似合いの過ぎる黒いコート
消えることも自覚しておれは煙草に火をつける
あいつはもうどこにもいないのだ、おれはそれを鈍く実感する
リズムも温度もないおれの視界、色彩をなくしたネオンの味気なさ、それでも痛みはない
なだらかに浮かんでは沈んでく思い、口の中が苦い味でまみれていく
そして煙草の火が消える、そしておれは泣く、これからのことだ、全部分かってる



2/

昨日の電話で、目が覚めた。それから、眠気が吹っ飛んだ。
言語ってものの組み合わせは、場合によっちゃひどい凶器にもなることを今知った。
頭の中が自分の声でわんわんわんわん唸ってる。
どうする?どうする?どうする?そればっかりがうわ言みたいに響く。
真っ暗闇の中で、俺は寝床に身を投げ出してうつろな空を見上げていた。
少しづつ速度を上げて白んでいく晩春の空。まつわりつく湿った空気。枠でとられた景色。
「どうする?」
低い、とんでもなく情けない鼻声。
差し出された問題に、答えなんてもんはなかった。



3/

あんたはおれのことをなんにも知らないで過ごす、
おれもあんたのことをなんにも知らないで過ごす
そしてゆるやかに日々が流れる、そしてなんでもなくそれは崩れさる
あどけなさがほんとうに微かに残る、あんたの笑った顔がおれは好きだった
反発するおれの額になだめるように乗せる、あんたのごつごつしたてのひらの感触が好きだった
あめを舐めてるあんたが好きだった、煙草のけむりを嫌がるあんたが好きだった
おれは、あんたが好きだった
あんたが好きだったんだ



4/

何かが変化するのをおれはずっと待ってた
それはどうしようもない感情だってことを、おれは充分に理解してた
あざける空と比例して膨れ上がってくおれの下らない思い
ぶち壊したその先に見えるものがひどく怖い
それはずっとただ羨んでいただけのつけだ
手を伸ばそうとしていた、進まなきゃいけなかった、笑っていた
それらをすべて裏切ったおれの、ばかみたいなつけだ



5/

早くに願っていたものは充分にくずれさってしまった後だった
得ようと、そして失おうとしていたものは手の内に染み込んで、もうとれはしない
身体から吹き出たものも多く存在してしまった
あの一瞬を逃した今、ここに手を掛けても、目を瞑っても、成すべきものは見つかることがないのだ



6/

自覚はない、止めろというやつはいない
狭い部屋にいる、それだけしか考えることがない
洒落たテレビのぶれてる映像、どん底の前に見る景色
目を閉じれば甘い夢へ飛び込める
意識が飛ぶ前の無意味なカウント、そして描く理想
薄汚れた視界から思う最後のもの、ばかみたいだ
あくる日にかざされる全て、これまでのひどい輝き、それももう、見えやしないのに



7/

手をつないでた感触は覚えてる、ぬくもりのない手のひらが見える
そして無様につっぷしたおれがいる
汚れた床に倒れこんだ、それだけの映像は消えることがない
いつでもおれをさいなんで、いつでもおれに牙をむけて襲いかかってくる
憑いたままの記憶、笑った顔、突拍子もないフラッシュバック
落ちて沈んでしまった身体はもうどこにもない
あまりに簡単な途切れかたをおれはきっと忘れることができない
がむしゃらで底意地の悪い生への執着だけで生きてきたおれは
もうすぐもぬけの殻になる



8/

なにかが寒さと混同されて墜落する様子を観察している
それはとても容易い、安易な物事でしかないが、
わたしは、それを綴るしかないこれからを抱えている
蝶が空をとぶように、人間がものを食べるように、それはまったく自然な出来事でしかない
わたしがわたしである意味も意義もこの全てに集約されているのだ
なにかが寒さと混同される様を見つめ、墜落の瞬間を目の当たりし、それを必死で記録する
わたしがわたしである以上、この作業から眼を背けることはできない
失うことも得ることもない、負け犬にも勝者にもなれはしない
わたしはわたし以上のことを成すことができない
ただそれだけのことだ



9/

言葉で伝えることなんて、何もない
おれの中の全てを、ぶちまけることなんてしなくていい
あいつはばかみたいに、暗闇をそのまますいすい歩けるように、おれのことを分かってる
おれもあいつのことをまったく容赦なく、パズルが完成したように分かってる
なんにも言わない、なんにもしない、触れることもしやしない
特別でもなんでもない、だからこうしてふたりでいる
たまに平凡さに滲む笑い顔だけ噛みしめてただ嬉しがってる、それで全部、満たされる



10/

女は泣いていた
とても滑稽な顔をして女はそこで泣いていた
おれはその女の腫れた瞼がなぜかとてもいとおしいと思った
おれは女を抱きしめた
一度も女を抱きしめたことのないおれの抱擁は
とてもぎこちなくとても無様でなさけのないものだった
女は泣いた顔をもたげておれを見た
そしておれの目を見て、汚い鼻声で言った
「ありがとう」
化粧の落ちたひどい顔
ばかみたいに優しかったその顔をおれはきっと忘れない