snow snow snow!




夢心地、と彼女はさらりと呟いた。頬はゆるんでいる。ちいさな振動。小刻みだけれど分別はある。
女はべたりと窓に張り付いて、夜に照らされてしまった光で映る彼女を見てた。
音速よりもうちょっと遅い速度で町並みは過ぎ去っていく。独特の空気。白いわっかが規則正しくつらなって、
振動といっしょにごとごと揺れる。律せよ!そんな命令が聞こえてきそうな風景は機械的な孤独の上にいる。
「誰もいない」
ひらひらした純白のレイヤードっぽいスカートをお姫様みたいにして彼女は女に言った。
頭にティアラはないけれど、特製の髪留めをしていた。ストレートに整った栗色。
何の素材かわからないもので出来た床を端から端までふわふわ歩いて、高く声を通す。おーい。そんな感じで。
「そうだね」
真っ赤なマフラーをした女はその行動にゆっくりと振り返って、ことばを返した。
思っていたより低い声は彼女の言ったとおり、だれもいないその場所によく響いた。
ジーンズのぽっけにじゃらじゃら鬱陶しいアクセサリーをつけた手を突っ込んで、ぼこぼこしたダウンを着ている。
冷ややかで何処か遠い目は何を考えているんだかよく分からない風体だ。
たばこを取り出して咥えて、火をつけるちょっと前でライターを持て遊んだりする。
「うそみたい。魔法かけたの?」
網棚のうえに乗っかった雑誌を取ろうと四苦八苦してる彼女はそんなのを溶かすようにほほ笑む。
この現世にはあまりにも似合わない単語を取り出して、架空の杖を振ってみせる。
あんたは魔女だもんね、そんな言葉が今にも出てきそうな唇は女のマフラーみたいに真っ赤だった。
雑誌はまだ取れない。案外彼女は背が低い。
「なにそれ?」
女は、それでも安易に笑い返したりせず冷ややかに言う。思ったより美しい顔に見える。
つかつかヒールもないのにそう聞こえる威圧感で、オールスターのスニーカーで彼女の元へいく。
ざんばらに切ったにも関わらずそれが丁度似合う黒髪で、火のつかないたばこを口の恋人にして、
網棚の雑誌をそれなりの態度で取ってやる。女は背が高かった。薄い週間まんがの雑誌だった。
「あ。ありがとう」
思わずのやさしさ、それに彼女はちょっとびっくりしたけどしっかり感謝を贈った。
女の手から彼女の手へ雑誌が渡る。放置されていた雑誌は暖房に蒸されてちょっと生暖かかった。
ごつりとシルバーのブレスレットがくっ付いて音を立てた。がいこつどくろの怖い顔。
「そんなのどうするの」
受け取ったその場で雑誌をめくる彼女を覗き込んで、面白い?と女は首をかしげる。
どうしても上から見る格好になるから彼女のまぶたが良く見える。
キラキラしたピンクと紫の間ぐらいのアイシャドウがつややかに光って、反射している。
「別にー、ちょっと気になっただけ」
上目遣いで答える彼女は、そんな視線もお見通しといったようで、
これ妹が好きとかいってたなとひとつの連載まんがを見つめながら、査定するような目をしてみる。
猫が主役らしい可愛らしいどたばたとしたペットもののまんがだった。
案外面白いらしいのか、彼女は視界にかかるながい髪を無意識に耳にかけて雑誌をながめている。
「猫か・・・・」
ぱちりとまばたきをするマスカラまみれの綺麗な扇状のまつげと雑誌とを交互しながら、女はぼそっと呟いた。
なんとなく、彼女を猫のようだなと思ったのだ。しっかりしているが無邪気で、けれど隙はなくて、
いつも見る横顔は甘え上手といった顔立ちだけど、実際はちっとも甘えたりしないし媚びない。
でも時々ものすごく可愛いんだ、と思考で女は付け加えて、そんなつまらないことを考えるのってどうだろう、
とちょっと顔を苦くする。雑誌の猫は目がおっきくて、しましまで、元気にはつらつに動いている。
「うん、面白いかも」
すみからすみまでまんがを読んで、彼女はお眼鏡にかないました、と満足げ。
今度妹にまんが見せてもらおうとひとり意気ごんでいる。外は真っ暗で、彼女の白い肌といい感覚で対照的。
女の黒髪とはいい感覚で混ざり合って溶けていた。ネオンが高速に駆け抜けていく。
糸を引いてく光は焼けるぐらい鮮明な色をして、飴細工のようにごきげんに舞う。
「ほんとに、誰も乗ってないな」
ぼんやりとたばこを口から外して言う女の声に彼女が反応して雑誌から顔を外す。
このレールに敷かれた鉄の塊はたいてい誰かが乗っているのに、今日は人っ子ひとりの気配もない。
ほんとうにどこかの魔女が魔法でもかけたように、この空間はふたりだけのものになっている。
寒さで凍えきっていたお互いの頬はもうすっかり溶けて、もう血色は万全。
今日はいつになく寒かった。雪も降りそうで、空はふかい藍に沈んでる。
「キスでもする?誰もいないついでに」
覗き込む、冗談まじりの本気。ふわりの香水の匂い。
そんなふうに笑ってみせる彼女は口を開いて、おもむろにくるりと一回転。
その拍子にスカートと彼女の髪はどうしようもなく美しい円を描く。
ベルベットのリボンつきブーツをはいた膝元からすこしだけ素肌が見えた。
「・・・するわけない」
「あ、照れた?」
ふいっと顔を背ける女は、またたばこを口に戻す。
防御壁、そう言いたげな思惑にすぐ彼女は噛みついた。いつまでも単純だね、意地悪な目。
それでも女は動じなくって、表情には彼女のいう照れは出てきてない。
ポーカーフェイスが得意なのはつまらないなと彼女は口を尖らせてみせた。
女の唇はたばこの揺れでわずかに形が変わって、ほんのわずかな隙間から歯がちらちら掠める。
「・・・冗談よ、じょーだん」
それをちょっとだけ頭に焼き付けて、ざんねーんとおどけてみせる。
さらさらの栗色がはじけて、彼女は雑誌を網棚に戻そうとする。
その時に星は輝いて、魔女はどこかで本物の杖をふった。オーロラは出なかったけれど、ぼたん雪は落ちてきた。
カーブに差し掛かって、真冬の終電はがたんごとん、とおおきく揺れた。わ、という声が飛んで、
爪先立ちのブーツがよろけて、力抜けた雑誌は宙をまって、整っているにも関わらず華奢な手が伸びる。
ざんばらな黒が動いて、長い足はすぐに一歩前に出た。流れる残像はくり返される。
「!」
彼女は力いっぱい身体を硬くして、スピードも足したぐちゃりと落ちる痛みを想像した。
驚くように閉じた目は暗くって、何も見えなくて、けれど何故か痛みはこなかった。
細い腰にはあたたかい手の感触がある。そっと目を開ければ、たばこのない口元と化粧の薄いのに美人な顔がある。
どこか不機嫌そうなのは元々そういう顔だけど、たばこは床に落ちている。
思わず落としたのはそれぐらい大事なものが目の前にあったから、
そんな言い方をするのはなんだか安っぽいかもしれないけど、確かに今はそんな状態だった。
「とろい」
息ついて、ひとこと女は呟いて、斜めになって危なっかしい彼女の身体を丁寧に支えていた。
目を丸くして、混乱にだぶついた頭をかかえる彼女は身を任せるままの格好になっている。
「・・・うるっさいなあ」
ため息みたいに言葉を漏らす。頬は暖房だけじゃない理由でだいぶん赤い。
ふたりっきりの電車という空間の中じんわり見つめ合って、鳴るのは車輪とレールが擦れる音だけ。
女の胸に置かれた彼女の左てのひらから女の鼓動が伝わってくる。音と熱。
どちらからどうするでもなく、じわりと距離がちぢまっていく。
それが当たり前のように、瞳がゆれてにじむ。
お互いの呼吸はお互いに吸いこまれて、いくぶんかの沈黙に守られて、そうやってひとつになる。
こびりつくように、時間が止まってるような錯覚にちょっとだけ陥る。
ゆっくりと流れるその景色を恥ずかしそうに窓だけが映している。
静かなのだって誰もいないせいだけじゃない。冗談はほんとになって、
妖精が5秒ぐらい飛ぶような幻想が広がって、ぴたりとくっついて、そしてまるで自然に離れる。
吐息。真近くにある顔。わずかに糸を引いて、うるんでいる。
「誰もいない・・・ついで」
ぺろりと少し濡れて赤くなった唇を舐めて、ごつんと女は彼女と額を合わせた。
彼女は雰囲気に流されて受け身がまだ続いている。
額と額でつたわる温度は端から端まで全部起爆剤になってもう手がつけられない。
落ちた雑誌とたばこが重なっている。真剣な中のどこかふざけている女の目。
いつも無愛想なくせ、こんなときだけはやたら子供っぽくなる、と彼女は悔しさに身を投じてる。
「あんたってほんとずるいよ、自覚ある?」
それでも視線はかっきり外さず、憎まれ口をすこしの反撃。
心なしか女は笑っているようにも見える。艶やかな顔。うつくしい顔。
可愛らしい猫のようだなんてもう一度耽ったりして、言葉は返さずに彼女の肩へ手を回す。
じゃらんとがいこつが笑う。水分多めのぼたん雪が窓ごしに踊る。
二人の視界に白が瞬間的に焼きついて、二人の視界は同時にガラス窓へいく。
「あ」
混ざる声が上がった。豊かな声同士、混ざり合ってもきれいなコーラスだった。
今日という日の締めくくりに丁度良いそのいろは、この聖なる夜を大概美しく彩っていく。
もいちど顔を見合わせて、雪が好きなことをお互いに透かす眼はどうしても嬉々としていた。
「・・・魔法?」
「かな」
もてあそぶような会話。それもふたりきりだから。こんな夜はどこにでも魔法がかかるのかもしれない。
今のひとときすべてを誰も知りえない秘密にまとめる白銀の魔法。
ホワイトメリークリスマス、そんな声も聞こえてきそうな終電車のホッカイロのなか。
つり革だけはなんにも変わらずに、ふらふらした雪だるまのままふたりの頭上で幸せそうにゆれていた。

ありえないからこそ魔法になりうるの、かも

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