Caution




戒めと叱責だ。
おれはそう思った。
『動くな』という言葉の強い意味はそのふたつに集約されていると思った。
言った張本人はさっぱりした仕草でおれを見ている。
じつに、シンプルすぎる目線だけで。
「動くな」
張本人はまた繰り返す。
おれを見てから、その一言しか喋ってないといっても過言じゃない。
動くな?
おれの体は別にていねいに縛られていたり、手錠でがちゃがちゃされているわけでもない。
口にテープもついていないし、目だって360度安泰している。
ただおれは自由で、張本人も自由だ。
けれど動くなっていう、張本人が打った楔がそこにはまっていて、なんだかおれは動こうという気があまり起きなかった。
「・・・・」
おれはあぐらをかいて、張本人を見る。
真っ白いシャツ、黒いズボン。
そこらへんにいるそこらへんの人とすぐ同化できる白黒。
そこにあるのはびっくりするくらいの清潔感だけで、まるで生きてる感がない。
きれいなシリコンのマネキンさん。
半分の背中をさらけ出して、何かに向かって手を動かしている。
無駄がぜんぜんないさばき方で何かをしている。
マネキンさん、マネキンさん。
動いているマネキンさん。
ぐらぐら揺れて、おれは一粒の液晶ドットほどマネキンさんを挑発したいと思った。
もちろん、心の中だけで思うだけで実行なんかはしない。
けど、無機質なその人間・・・じゃなかった、
マネキンさんの無駄に荒げたような賑やかなような顔やら雰囲気を、
ほんのすこしだけ、見てみたいと思った。
知らない間に、いつのまにかこんな殺風景な楽園につれて来られた哀れなおれのために、
そんな娯楽ぐらいあっていいだろうと厚かましくも感じたのだ。
喜怒哀楽の欠けた、マネキンさんと同じぐらい白黒の部屋。
誰とも同化できそうで、誰をもきつく拒絶する部屋。
マネキンさんだからこそ居れそうな、このあまりにもな空間に、
なぜか少しづつ慣れはじめていくようなおれ。
・・・人間は、どこまでいっても適応していくだけの生きものなのかもしれない。
「よし」
不意に、張本人のマネキンさんは頷いた。
そして嘘みたいにつよく呟いた(まるで人間みたいに)。
白シャツの背中は多少強張ったようで、目線がやけに堅い。
いやな予感がする。
おれも身体じゅうを強張らせて、奥歯をちょっと噛んでみる。
ついに、おれもヤバいのかもしれない。
ぐさっと、ぎゅっと、おれは終わるのか?なんて。
「これを飲め」
そうしてあぐらのまま、おれはカチカチになってある種の覚悟をした。
薄目開きで、物すごく気持ち悪かった。と思う。
けど、マネキンさんはやっぱりひとつも無駄のない動きで、
ただこっちに足を進めておれの目の前、鼻先に試験管を押し付けただけだった。
一言の熨斗をつけて、つるんとしたシリコン100%の顔で。
「こ、れ・・・何?」
「お前がお前でいる為の薬だ」
おれがかけらも動かないように気を使いつつ不気味そうに言うと、コンマの隙間も与えないでマネキンさんは返す。
試験管の中にはうす緑のあざやかな液体がこぽこぽしている。
どう見たって、うまそうじゃない。
でも、これはおれがおれで居るために必要な薬らしい。
・・・?
「おれが、おれで居る?」
「ああ、そうだ」
おれは覗くようにマネキンさんの言葉を反復した。
『おれがおれで居るため』という文の意味がよく理解できなかった所為だ。
けれど、マネキンさんはただただ同調するだけで、
意味を説明してほしいおれの意図なんかひとつも汲まずにまた、黙った。
白黒だけ身につけて、口は真一文字でじっとマネキンさんはおれを見ている。
否応ない気分になって、おれは鼻先に当たった試験管をそろりと受け取ろうとする・・・が、
おれの中でひとつの言葉がごろりと動いた。
「・・・あれ、動いて・・・いい、んすか?」
ぴく、とマネキンさんの目尻が上がる。
「お前の体はずいぶん安定したようだ、もう動いて大丈夫だろう」
腰に片手をあてて、まじまじおれを見た後でマネキンさんは言った。
何が安定したって?
もう動いて大丈夫?
次々とおれの頭に疑問符が湧き上がるが、
とにかく動いていいって事実だけは完璧に保証されたみたいだ。
「わ、かりました」
変わらず無表情のマネキンさんを置いて、おれはしずしずと試験管を人差し指と親指でつまみあげた。
緑色の液体はまだ白い気泡をあげて、キラキラ輝いている。
二、三回試験管を揺らせて、おれは数秒だけその美しい液体を眺めた。
これは毒なんじゃないかとか、すげえまずい薬なんじゃないかという考えがよぎるけれど、
マネキンさんのいい放つ言葉には人間にも見えないくせ絶対的な根拠みたいなものがあって、
おれはその、絶対的根拠をなぜか曖昧にも信じる気になっていた。
会って数時間も経っていない(一応の)人間にここまで信頼をよせるなんて滅多にない。
けど、マネキンさんにはそこまでのなんというか・・・オーラがあったのだ。
白黒でマネキンで、それでも恐ろしいくらいのカリスマ性がある。
なんて変な、不思議なやつなんだろう。
おれは狐につままれたような心地で、手にした試験管からぐいっと液体を喉に流した。
「よし、それでいい。お前はお前を無事まっとうするだろう」
うんうん、とまたマネキンさんは頷いた。
やっぱりおれはなんの意味もわからないまま、のど笛を通る緑を感じていた。
わずかに舌に残っている味はマネキンさんと同じように、
ただただ不思議で変で、何故だか浮遊感のような後味があった。
「おれ、これからどうなるんすか?」
なんとなく、おれは聞いた。
さっきの液体を飲んで、少しだけ気分が上がったからかもしれない。
おれはマネキンさんを見て、マネキンさんはおれを見る。
ちょっとの沈黙。
その後で、マネキンさんは口を開いた。
「酷い無茶をした故にお前はこうなった事を良く覚えておけ。安心しろ、お前はお前の道をまた進める。
 だが無茶は良くない。無茶をすれば、もう一度はない。これは助言だ。そして警告だ」
一気にまくし立てられて、おれは出すはずの言葉をきれいに忘れた。
無茶、おれの道、もう一度、助言、そして警告。
マネキンさんが放り投げた言葉ひとつひとつを拾って、
なんとかこまかく砕いて胸に押し込めてみる。
その間マネキンさんはおれの手からゆるやかに試験管を抜きとり、
中身がすっかりないのを確認してそれを白シャツの胸ポケットに入れた。
「さあ、もう時間だ。目を瞑れ。お前がお前に戻る時間だ」
警告、という言葉をおれが完璧に心に刻むのと同時に、マネキンさんは下を見つめた。
それは真っ白い床のタイルを見つめてるんじゃなく、
そのもっともっと下、遥か下の何かを透かしてるようでもあった。
「・・・・・・はい」
はっきりとおれは頷く。
おれはここに来て、マネキンさんの勝手で自己中心な言葉に本気でつき従う気持ちでいた。
白黒のカリスマ性。
多分、おれはそれにやられたのだ。
この本当に少しの時間の間に、嘘みたいに当てられたのだ。
「さあ」
「はい」
おれは目を瞑った。
おれができる限り丁寧に美しく、ぴたりと瞼を閉じた。
あふれ返る暗闇。
少しだけ残像で残っている白。
そうして、おれがまた目を開けたとき、おれは・・・・

・・・・おれはさっきまでの空間にどうしようもなく似た場所を見つめた。
白い天井。白い空気。黒い扉。同じような白黒。
けれど、確かにそこはさっきまでの空間ではなかった。
やさしいやさしい、そこは誰をも受け入れるような部屋に見えた。
おれの意識はやけにしっかりしていて、つんとした匂いが鼻をつく。
その匂いをおれは思い切り嗅ぎ、大きく息を吸って吐いた。
ゆっくりとへこんでいく肺と、かすかな緑の空気。
それを感じて、胸の中にあふれるような安堵と郷愁が襲った。
ああ、おれは今、とても安らかに思った。
大丈夫だ。
おれの心から、マネキンさんはきっと永遠に消えないのだ。
そして人間は、やはり順応してゆく生きものなのだ。
おれは戒めと叱責の『動くな』という声を思い出し、頭の中だけで小さく楔を外す仕草をとった。

死だか生だかの間でただ迷い込んだ一握りへ生への薬を作る人

BACK