■大村市の民話・伝説


◆大炊介とたえおり姫
戦国時代、島原の有馬勢と大村の大村勢が戦をしていた。劣勢の大村藩は領主純伊(すみこれ)の首を求められた。このとき家臣の長与大炊介が自害し、純伊の首と偽って出すよう言い遺す。後に大村勢は再興するが、そのとき純伊が落ち延びていた玄界灘の加唐島には大炊介の墓、大炊介を慕い墓前で自害した豪族の娘たえおり姫、そして純伊の墓がある。


◆勘作話
長沢勘作という江戸末期の実在の人物によるとんち話で、「カモと大根」「かえればかもん」など、数多く残っている。


◆玖島いなり
大村神社の本殿の後ろには玖島稲荷の祠がある。これはかつて西大村の三城に住んでいた四郎左右衛門という古狐のもので、城主の純忠に仕え、ある時は数百の子分を兵に化けさせたり、ある時は敵陣に忍び込み敵軍を引っかき回して助けてくれた。四郎左右衛門は家老格となり、純忠の子の喜前公の代に今の玖島稲荷に住処を移し、その祠が今も残っているという。


◆八島の池
上波佐見と下波佐見の境にある八島という部落に、小さな池があった。七百年前、毎朝大蛇が水を飲みに来るので人々は家の中に隠れていた。これを憂えた京都の二条天皇は源為朝を大蛇退治に向かわせた。為朝は池を大きくし、砦を築いて大蛇を待つが一向に来ない。大蛇を探して歩き回った為朝はやがて黒髪山に大蛇がいることを知る。
その頃、麓の村木という所の庄屋の娘、万寿姫は水を覗くたび、大蛇の影が見えるので苦しんでいた。悩んだ末、自分から黒髪山の麓にある白川の池のほとりへと向かう。岩の上に座っていると大蛇が現れ、姫に近づくが、姫の唱える念仏によって酔ったようにふらふらと首を動かし始める。これを見た為朝は矢で大蛇をしとめ、大蛇は池に落ちて死んでしまった。八島の池は十年に一度、必ず池の水が血をたたえた色に変わるという。


◆ちょぼりんじいさん
昔、ある村の外れにちょぼりん爺さんが婆さんと仲良く暮らしていた。ちょぼりん爺さんは毎日隣の爺さんに誘われて釣りに出かけていた。ある日、隣の爺さんは大漁だがちょぼりん爺さんには一匹も釣れなかった。それでちょぼりん爺さんは隣の爺さんの魚が欲しくて「一匹くれんかねぇ」と頼んだ。隣の爺さんは可哀想に思って「それなら一匹やろうたい」と言って一匹あげたが、ちょぼりん爺さんは「一匹だけじゃどうにもならん。川の中へちょぼりん」と言って川の中に投げ捨ててしまった。それから何度も「一匹くれんかねぇ」とちょぼりん爺さんは言ってきたが、あげる度に川の中へ捨ててしまうので、「お前にはもうやらん」と言って腹を立ててしまった。
それ以来、「ちょぼりん爺さん」とみんなから言われるようになったという。