■西海市の民話・伝説


◆琵琶石(西海町)
西海橋から横瀬を過ぎ、太田和港に通じる海岸に琵琶石という岩がある。目を患った祖父のために孫娘がお金を稼いでいるという話を聞いた旅の男が修験者になりすまし、娘の奉公と引き替えに嘘の祈祷を行う。娘は男にだまされ、人買いに売られてしまい、祖父は娘を捜すため琵琶法師となって旅に出るが、最後は海鳥の声と娘の声を聞き間違え、崖から落ちて亡くなってしまった。この崖の岩を琵琶石という。


◆くじら長者(西彼町)
西彼杵半島の西にある平島というところに与五郎という男が住んでいた。与五郎は蜘蛛の巣から、網を使った捕鯨法を思いつき、年に数百という鯨を捕って大金持ちになった。与五郎は鯨御殿を建て、贅沢を尽くしていたが、ある夜、枕元に一匹の鯨が現れて、「明日子供といっしょに沖を通る。腹の中にはまだ子供が一匹いるので、この子が生まれるまではどうか捕らないようにしてください」と言う。しかし翌日二匹は捕らえられてしまう。それ以来鯨がぱったり捕れなくなった。


◆伊王島と俊寛さま(西彼町)
平家全盛の時代、平家を滅ぼそうとした法勝寺のお坊さま、俊寛がいた。大納言成親平判官康頼、丹波少将成経、西行、多田蔵人行綱を同士として日夜平家打倒の策を考えていた。ところが多田の裏切りにより西行は死に、残りの三人は長崎の伊王島に流されてしまう。康頼と成経の二人は毎日熊野権現にお祈りしたが、俊寛はしなかった。ある日都から迎えの船が来たが、許しが得られていたのは康頼と成経も二人だけで、俊寛は島に取り残されてしまった。
後に、かつて俊寛に仕えていたという有王丸が訪ねたものの、既に俊寛は虫の息で、程なくして息絶えたという。


◆蛇谷
高島の町では権現山に大蛇が出るというので町の人々は恐れていた。島を取り締まっている島廻り役の田代藤左右衛門は長崎から船で渡ってきた際にこの噂を聞くと、これは捨て置けないと鉄砲組の若者を五六人連れて権現山を見張らせた。しかし何日経っても一向に大蛇は現れない。そんなある日、昼寝をしていた藤左右衛門の枕元に色白の娘が現れて、「天に昇ろうと思うのだが鉄砲組のせいでおちおち寝られない。天に昇るときは見逃して欲しい」と言う。藤左右衛門はすぐ山に登ると、山頂の岩陰で大蛇が眠っているので鉄砲で撃ち殺した。
四五年後、当番でこの島へ再び渡ってきた藤左右衛門は島巡りの最中、急に降り出した大雨で荒れた海のせいで、波に飲まれてしまった。
高島の人々は「大蛇のたたりに違いない」と口々に言ったという。