■雲仙市の民話・伝説


◆フナになった源五郎(小浜町)
源五郎という男が川で変わった太鼓を拾う。それは表を叩くと鼻が伸び、裏を叩くと鼻が縮むというものだった。その太鼓で金儲けなどしていたが、ある日、冗談で自分の鼻を高くしすぎ、天国まで届いてしまった。天国の人はこの下界から伸びてきた肌色の棒を見て、天の川の橋を固定するのにちょうどいいと思い、鼻を橋に打ち付けてしまう。それを知らない源五郎は鼻を戻すと宙に浮き上がり、天国まで上っていってしまう。そこで雷さまの手伝いをやらされる羽目になるが、仕事を真面目にしない源五郎は天国から蹴落とされ、琵琶湖に落ちて今の源五郎ブナとなったという。


◆山伏ダヌキ(小浜町)
ある山伏が道ばたで、昼寝をしている古狸に出くわす。山伏は悪戯をしてやろうと思い、古狸の耳元でホラ貝を吹いて驚かせる。古狸はびっくりして恨めしそうな顔をしながら山伏の元から去っていくが、後に、山伏に幽霊から追われる幻覚を見せて仕返しを行った。


◆キツネの恩返し(国見町)
昔、多比良(国見町)にあった酒屋の先祖の話。その酒屋の先祖はいなまき(むしろ)織りだったそうだ。貧乏で、夜な夜ないなまきを織っては島原城の城下町まで売りに来ていた。ある日、いなまきを売りに行く道で、子狐をいじめる子供達に出会った。可哀想に思ったいなまき織りは「その子狐を売ってくれ」と言った。子供は「今まで稼いだ金を全部くれたら売ってやる」と言う。いなまき織りは全部やっては自分の生活が苦しくなるので「それじゃ買えない」と言って立ち去ってしまった。振り返ると、子狐が買って欲しそうにいなまき織りを拝んでいた。たまりかねたいなまき織りは引き返して子狐を買ってしまった。逃がしてあげると、とても嬉しそうに後ろを何度も振り返りながら山に戻っていった。 数日後、いなまき織りが城下町まで売りに行った帰り道、誰か知らないが石垣の塀の中から何かを投げてきた。拾ってみると、それは銭の束だった。不思議に思っていると、突然「泥棒!」と声がする。いなまき織りは驚いて銭を抱えて逃げてしまった。しばらくして、銭を返そうか悩んでいたいなまき織りの元にこの間の子狐が現れた。その銭はこの間のお礼だと言う子狐に、いなまき織りは「しかし『泥棒』と叫ぶことは無いだろう。びっくりするじゃないか」と言うと、子狐は笑って「あの時あんたは買うと言ったのに一度買うのを止めたろう。それでびっくりさせられたのでお返しだ」と言った。それからいなまき織りはそのお金を元手に酒屋をはじめ、それが多比良の何処かの酒屋の先祖だという。


◆しんぴょうさんのお化け退治(国見町)
昔ある山奥の村にしんぴょうさんというお爺さんが独りで住んでいた。その頃この山にはお化けがいて、恐ろしさのあまり薪採りにも行けなかった。ある夜、しんぴょうさんの家にお化けが入ったので、しんぴょうさんは天上に隠れた。「天上で息がする」と、しんぴょうさんの事に気付いている風だったが、そのまま何もせず大きな平釜の中に入っていったので、しんぴょうさんは蒸し焼きにしようと釜に火を付けた。火打ち石をカチカチ鳴らすと「今日は虫がカチカチ鳴く」、火にくべた山シバがバリバリ音を立てると「バリバリ虫が鳴く」と言い、釜が熱くなると「毒虫が刺す、毒虫が刺す」と言っていた。しばらくして静かになったので釜の蓋を取ってみるとお化けは黒焦げになっていた。お化けがいなくなったおかげで村の人は安心して山に行けるようになり、しんぴょうさんは村人から大事にされるようになったという。


◆山伏さんのお経(国見町)
昔、山伏が山道を歩いていたときのこと。日が暮れてしまい、どこか泊まる家を探していると、山中に一軒だけ、お婆さんが独りで住んでいる家があった。「今晩一晩だけ泊めて欲しい」と頼み込むと、「私はお経を知らないので、教えてくれるのなら泊まらせます」と言う。山伏はお経は知らなかったが、泊まりたかったので「それなら教えましょう」と言った。さて、いざ読むことになって、何を読もうか山伏は迷った。そのとき鼠が一匹、山伏の横からちょろっと出てきた。それを見た山伏は「おんちょろ、おんちょろ、あなのぞき」と読んだ。さて次は何を読もうかと考えているともう一匹鼠が出てきた。そこで山伏は「またちょろ、またちょろ、あなのぞき」と読んだ。すると二匹の鼠が口を付き合わせて何か言っているような仕草を見せたので「ふたりでなにか、話され申されそうろう」と読んだ。しばらくして鼠が穴に引き返したので「そのまま、あなへもどられそうろう」と読み、お経を終えた。
実はその時、お婆さんの家には二人泥棒が忍び込んでいた。家の様子をうかがっている時に、ちょうど山伏が「おんちょろ、おんちょろ、穴のぞき」と読んだものだから、泥棒は「もしかして忍び込んだのがばれているんじゃないか?」と相方に声をかけた。そこにちょうど山伏の「ふたりでなにか、話され申されそうろう」がかぶったものだから、二人の泥棒は慌ててこの家を去ったそうだ。


◆ちぢわのみそ五郎(千々石町)
昔、島原半島は九州から離れた火山島だった。その島の西側に「みそ五郎」という大男が住んでいて、大きな牛を飼って暮らしていた。
ある年、九千部岳に腰掛けていたみそ五郎は立ち上がろうとした弾みに岩につまづき、足を滑らせてしまった。その時大きな山鳴りと振動がおき、山が崩れてみそ五郎の牛は山津波に飲まれてしまった。
それから長い年月が過ぎ、その地に住んでいた人たち各地で牛の雁首や尾首、鞍を掘り当てました。今千々石に牛の首・鞍置・尾の上、尾崎などの地名があるのはこの話から伝えられたものだそうだ。
その後牛をなくしたみそ五郎は鍬を持ってふらりと出て行った。そして九千部岳と吾妻岳の間を一鍬掬い上げると今の田代原になり、吾妻岳の山頂を一気に鍬で引きおろすと火山島が九州と繋がって島原半島になり、仕事の邪魔になるからと海へ投げ出したのが湯島と山田の三つ島になった。
それから三つ島の中の「男島」と「女島」が沈んでいくように見えたので、それを防ごうとみそ五郎は大きな石を二つ抱えて山を下りた。しかし男島と女島は仲睦まじく遊んでいただけだったので石をその場に置き、「夫婦は仲良く暮らすもんだよ」と言い聞かせて帰った。千々石にある一対の大石を地元の人は「夫婦石」とか「みそ五郎が忘れた夫婦石」と呼んでいるそうだ。


◆みそ五郎どんとおタネやん(千々石町)
昔、木場名の桂迫平にみそ五郎とおタネやんという仲のよい夫婦が住んでいた。みそ五郎は三メートルもの大男で酒と味噌が大好きで、いつも仕事せずに寝てばかりいた。おタネやんは気が優しく働き者で、朝から晩まで一人で粟や稗を作っていた。刈り入れ時になっても「明日は粟を担ってくれんかない」とも頼めず、酒が切れると怒鳴り散らす亭主のみそ五郎に飯岳川の美味しい水をたらふく飲ませて寝かせていた。
翌朝おタネやんが早起きして粟畑に行くと不思議なことに昨日やっとのことで刈り取った粟の束が無くなっている。びっくりしたおタネやんが家に帰って小屋を覗いてみると、百束の粟が積んであった。みそ五郎が運んでいたのだった。

ある日、庄屋がみそ五郎を訪ねてきて「明日島原のお四面さん(温泉神社)で相撲大会があるけん出てくれんや」と頼んだ。みそ五郎は味噌一斗、酒一斗でしぶしぶ引き受けた。島原では千々石の大男を一目見ようと大賑わいだった。みそ五郎は片手で一撫でするだけで皆を倒してしまった。褒美は羽二重の織物と、おタネやんへの赤い着物と赤い鼻緒の下駄だった。
しかし相変わらずみそ五郎は酒を飲んでは寝て暮らす毎日だったので背丈がどんどん伸びて、足の長さだけでも三十間(60メートル)にもなり、立つと飯岳の城山や釜岳よりも高くなってしまった。

またある日庄屋が訪ねてきて、「娘が大病で高熱じゃ。普賢岳の鳩ん穴にゃ氷のあるけん取って来てくれんか」と頼んできた。みそ五郎は日頃お世話になっている庄屋の頼みなので引き受け、ほんの十歩で鳩ん穴に行くと一掴み氷を掴んで帰ってきた。
またまたある日、隣町の小浜や愛野に行く途中山越えしなければならないのでみそ五郎に頼んで大きな鍬で掘ってもらった。その時できたのが千々石の平野だという。
それからもみそ五郎は方々に出かけて世のため人のために尽したということだ。



◆串山伝説(南串山町)
今から千数百年前、仲哀天皇の御世に、日本と朝鮮は国交が上手くいっていなかった。それで神功皇后は互いに仲良くするために多くの兵を連れて朝鮮に行くことになった。
ところがその頃九州では熊襲という悪者が村人を苦しめていたので、皇后は道すがら熊本地方まで足を運び熊襲を討伐した。その時神功皇后が「何か困ったことがあれば言うように」と触れまわったので、一人の男が「私どもの島原にも悪者がいて困っています。どうか討ち平らげて下さい」と言った。皇后は忙しい身であったが島原半島まで立ち寄ることに決め、船で出向くと大歓迎を受けた。そこで神功皇后は不思議な現象を目にした。海上に幾千の火の玉が現れたのだ。皇后も兵に調べさせたが原因がつかめず、それを「不知火」と呼ぶことにした。それでその火より手前を「火の前の国」、奥を「火の後ろの国」と言う意味で、長崎を肥前、熊本を肥後と言うようになったのだった。
その頃村人は武荘五郎という大変悪い熊襲に苦しめられていた。武荘五郎は非常な大力で、誰も歯が立たなかった。この武荘五郎はかつて自分の力を部下に見せるために大きな岩山を一本の棒で担い上げたが、そのはずみで棒が折れ、岩山の一つは海の中に落ちてしまった。それが今の児島だという。
神功皇后は村人の願いを聞いてこの武荘五郎を退治することにした。武荘五郎も部下を従えて皇后を迎え撃った。武荘五郎らは案外強く、皇后自身も弓矢をとって戦うも劣勢だった。そのとき何処からか住吉大明神が現れ、神智により皇后軍は元気づき、ぐんぐん賊を追い詰めた。賊はたまりかねて山深く逃げ込んだが、ついに武荘五郎も力尽き皇后の部下に討ち取られた。
長い間村人を苦しめた武荘五郎もついに討ち取られたので村の人たちは喜んで武荘五郎の首を海岸まで板に乗せて引きずった。そして小高い丘の上で首を焼き骨を埋めて塚を作った。それでこの地を鬼塚と呼ぶ。
村は平和になり、人々は畑仕事に精を出せるようになった。皇后が去るときの見送りは村人総出のそれは盛んなものだったという。