Barbarism









ベッドに倒れこんで少し歪んだ顔をした、その表情は、案外そそるものじゃなかった。
羽毛の布団がなまけた音を立てて不細工にへこむ。
眼鏡がずれて、意味が分かってない裸眼がこっちに向く。
「痛い」
それでも悪態は忘れない。文句を言わなきゃ、こいつじゃない。
ぶっきらぼうな声は、墨を浴びたような真っ黒い髪の毛の色とよく合っている。
「だろうな」
目線を外して俺は言う。
力は込めた。肋骨が見えそうなくらい薄い身体をしてるからって、男は男だ。
本気になれば抵抗くらいは出来る。
だから、その前にねじ伏せて萎縮させる。
女々しい攻撃に手加減できるほど、俺は大人じゃない。
「まだ嫌だって言ったと思うけど」
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
そんな何度聞いたか分からない言葉は、いつかに数を数えてみたくもなった。
ノートには、10まで書いた正がバカみたいに残ってる。
飛躍して暴発した、まぬけな俺の感情の証だ。
「んなの知ってるよ」
分かっているからこうしている。
性欲がないのかと揺さぶって問いただしたくもなる。
女に欲情しないのは、三ヶ月前から分かってる。
とにかく俺は、こいつが俺の下で屈辱にまみれて喘いでる姿が見たいんだ。
「じゃあ、嫌だ」
相手はそんな俺の感情を打ち捨てるように言う。
はっきりと突きつけた声と言葉に、嘘なんてものはかけらもなかった。
濁った目に、位置の直った眼鏡。まっすぐの視線が俺を射抜く。
「なんで」
すぐ出る早足の声は、焦ってるのか。それも分からない。
俺が自覚できるのは沸いた怒りだけだ。
俺に身体を触られるのがそんなに嫌か、とか、
繋がるようになるのがそんなに嫌か、とか、
曲がって閉じた唇を開けば、どうでもいい文句が口から飛び出してきそうになる。
「その顔が嫌いだから」
取ってつけたような言い訳に色なんてなくなった顔。
飄々と逃げる目玉はもうこっちなんて見ていない。
怒った顔が嫌いだ。これも何度聞いたか想像もつかない。
こいつは今にも死にそうな目で、『剣幕がひどくなる』、と言い、『殺されそうだ』、と吐き捨てる。
「だから、俺とやらねえのか」
つまらない言い訳で、俺とのそれを拒み続ける相手が俺は憎かった。
なんで嫌なのか、どうして拒むのか、それを相手は絶対に言わなかった。
自分でも驚くような大声は、その憎さが滲みでたのかもしれない。
ブレーキを忘れて加速していくだけの怒り。
止めてくれとか救ってくれとか、体全体で張り上げてるような、意味のない怒声。
それを相手が受けとめたことは一度もなかった。
「…そうだよ」
安易な肯定、捻じ曲がった眉、細く締まる目。
いつものパターンで相手は逃げる。
頑なすぎる意思のバリアはますます強くなっていく。
はだけたシャツから見える不健康な肌が、俺を嘲ってはね付ける。
「つまんねえ言い訳すんじゃねえよ」
「つまらない?」
俺はどうしようもない気分で相手を睨みつけた。
嘔吐のような言葉が、どっちも同じように漏れる。
これから相手を襲うことなんて狂った冗談みたいだった。
捩じ伏せた力で無様に喘ぐこいつ。
赤い顔で懇願するこいつ。
精液塗れになるこいつ。
それを、俺はどんな顔で見る。
そいつの嫌いなその顔で、また殺されそうだと吐かれるのか。
ぐらぐらする。頭が痛い。全部が幻のようだ。
「お前はいつだってつまんねえんだよ」
地震に出くわしたままみたいな視界で、俺は手で顔を覆って相手になじった。
とっさに出た言葉だったが、思ってたより、相手へダメージを与えたようだった。
相手の細まった目が一瞬開いて、俺よりひどい顔で俺を睨む。
「つまらない、だって?」
再びの挑むトーンは心なしか揺らいでいた。
沸点を越えた怒りだと、そう俺が感づくより早く、相手はばねをつけて、ベットから飛び下りた。
目の光が線を率いて俺へと向かう。
俺は一歩後ずさってゆるく構えたが、遅かった。
「君の方が…、よっぽどつまらないだろう!」
耳を思いきりつんざく罵声と、弾みをつけて胸にくる痛み。
心臓に当たる衝撃は、余波になって身体に広がる。
「いっ、てえっ!!」
見せ付けるほどの大声で、俺は痛みに叫んだ。
相手は憎悪と哀しみに満ちた眼鏡の奥の目で、痛がる俺を冷たく見ていた。
「お前っ…!」
俺がそう言い終わらないうちに、頬にも遠慮なしの右手が来る。
カーペットに倒れこんで、俺はしたたかに本棚へ背中を打ちつける。
本が散らばる。目を瞑る。また痛みだ。
まぶたの裏でちくちくと暗さが光る。
俺は、暗がりの中でこの上なく困惑していた。
相手が、俺に反抗するなんて思ってもいなかった。
ここまでまともに暴力に訴えた相手の行動が信じられなかった。
ひ弱で、ぶっきらぼうで、嫌な性格で、文句ばっかりで、嫌味ばかりつけてきて、
真正面から外に出すエネルギーなんて覚えてないような、こいつは、そんな奴のはずだった。
「この野郎!」
出した声がかすかに震えているのに俺は気付く。
発作的に否応なしの右手が出るが、空ぶって、その隙にまた殴られる。
体がずり落ちて、カーペットに全身を預けるようになる。
「君が……!」
搾り取るような声が聞こえて、腹に重い感触が乗る。
反対の頬に三度目の痛みが襲ってくる。
感情的なその声で、俺は本気でこいつが俺を殴ってることを思い知った。
有無を言わさず、相手は肉の塊にパンチをぶつけてくる。
色の悪い肌で、黒い髪を降らせて、がりがりの手で、盲目的に俺を殴ってくる。
「お前……!!」
俺は相手を探るように、相手にすがるように手を伸ばした。
目は暗闇のままで、手は空を舞う。
腹にくる握りこぶしは皮だけの手から出るそいつの攻撃とは思えないほど骨に来て、俺は言葉を止められる。
「君は……!」
遠く耳に声が響いて、口内から舌先へ、うっすら血の味がした。
まずい鉄分の、赤い俺の血。
それが喉へ放り込まれたとき、俺は気付いた。
こうされて当然だと、そう気付いた。
目を瞑ったままで、俺は無抵抗に身体を相手へ委ねた。
何も、何の抵抗もしなかった。
殴りたければ、殴ればいい。つまらない俺を殴ればいい、そう思った。
俺のことがそんなに嫌なら、俺の顔が殺したいほど嫌いなら、俺の言葉が殴りたいほど憎いなら、殴ればいい。
きつく瞑って、全部投げ出して覚悟する。
それを感じ取ったかのように相手は少し怯むように攻撃の間隔を空けたが、すぐにまた殴ってきた。
まるで、そんな考えをする俺を、なじるような攻撃だった。




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